新1万円札の顔となった渋沢栄一の顔が、風俗にくるお客さんの顔に似ていると話題になっています。

 

風俗界隈では共感の声が上がっているんですけど、そもそも女好きって顔に出るんでしょうか?

 

ネット上には、こんな声が上がっています。

 

  • ぱぱ札
  • 今回の新札発行には少子化対策の裏が…
  • 刷ったばかりの新札だけど、別の人で刷り直してほしい
  • 本当に風俗客にしか見えなくなってきた
  • 風俗通いって顔に出る人は出るよね
  • お札にダサい顔より富士山寿司の絵のほうがいい
  • 渋沢栄一について詳しくなったらウケる
  • お札にする人、間違えたんじゃない?

 

渋沢栄一は女好きで女狂いだったことは知られてはいるものの、知らない人もいるんですよね。

 

今回は、渋沢栄一の風俗通いの噂や女好きが顔に出るかどうかを調べてみました。

 

スポンサーリンク

 

渋沢栄一が女好きな顔をしていると話題に

 

渋沢栄一が女好きな顔をしてると話題になっています。

 

 

つまり女好きは人相に出るということなんでしょう。

 

渋沢栄一の顔をよく見ると、腫れぼったい目をしていて少しトロンとしているんですよね。

 

渋沢栄一 風俗

引用元 : 讀賣オンライン

 

風俗に通うおっさんってこういう顔してるんだ…と思った人もいるでしょう。

 

人間の顔は、第2の履歴書と言われています。

 

要するに顔を見ればその人の事が分かるということ。

 

ちょっと周りの人を想像してほしいんですけど、意地悪な人って意地悪そうな顔してると思いませんか?

 

犯罪を犯した犯人の顔を見ると、悪い顔をしてますよね。

 

児童ポルノ禁止法で逮捕された元校長の顔にそっくりとの声も上がっていて、女好きの人は顔に出てしまうのかもしれません。

 

今も昔もスケベったらしい人相は、変わらないんだと思います。

 

そんな渋沢栄一の新1万円札は結婚式に使わないほうが良い、という馬鹿馬鹿しいマナーまで出始めています。

 

 

女好きのイメージを持つ渋沢栄一、不吉なので旧札が良いということなんでしょうか。

 

2024年7月から始まった新紙幣、高齢者のキャッシュレス決済が進むかもしれませんね。

 

 

スポンサーリンク

 

渋沢栄一の風俗通いがマジだった…

 

「女性関係を除いて、やましいことはない」

 

と自ら言うほど、渋沢栄一は女好きだったそうで実際に、風俗通いがすごかったらしいです。

 

最初の妻との間に長女が生まれた1863年、渋沢栄一は父から100両をもらい、従兄弟の渋沢喜作とともに京都に向かい初めて吉原(よしわら)に行ったのです。

 

吉原は今でいう風俗のこと。

 

渋沢栄一は「たちまち24、5両の金がなくなってしまった」と後に語っています。

 

当時、1両はおよそ13万円ほどの価値があったため、渋沢栄一は吉原で325万円もの大金を使ったことになります

 

風俗でこれだけのお金を使うって、相当女好きじゃないと難しいと思います。

 

 

渋沢栄一はプロの美形女性が好みだったそうで、何人も妾としているんですよね。

 

女狂いで有名だった渋沢栄一。

 

たしかに、こんな事実を知ったら新1万円札を見るたびにそういう目で見てしまいます。

 

渋沢栄一 風俗

引用元 : @livedoornewsのxより

 

風俗嬢って、意外と本質を見抜く審美眼みたいなものを備えてて、感心する。

 

 

 

 

 

英雄色を好むを地で行く人生

 

『好色家艶事典』によれば、渋沢栄一は花柳界では5本の指に入る遊び人だったそうです。

 

大の女好きであった渋沢栄一は、大河ドラマではスルーされていましたが最低でも20人の婚外子がいたと言われています。

 

明治6年3月に撮られた写真には、妻と妾が一緒に映っています。

 

渋沢栄一 女狂い 女好き

引用元 : WOMAN

 

妻と暮らす家に妾も一緒に住まわせ、20人の子がいたと言われているんですけど、一説には50人という話もあり、多くは妾の子なんだそうです。

 

渋沢栄一が68歳のときにも、妾との間に子が誕生。

 

そのときは「いや、お恥ずかしい。若気の至りで……」と言ったんだとか。

 

68才でまだまだ現役ということに驚きます。

 

渋沢栄一は酒もタバコも飲まず、食事は根菜類が好みで質素な暮らしをしていたものの、唯一の道楽は女。

 

昔の偉人には、愛人がいるのが普通のことだった時代。

 

あの野口英世も相当な女好きで風俗狂いだったそうです。

 

野口英世 

引用元 : wikipedia

 

他にも旧千円札の伊藤博文は渋沢栄一よりも派手な女遊びが激しすぎて、明治天皇から直々に女遊びを控えろと窘められたそうです。

 

 

ここまで女好きだった渋沢栄一の妻はとても苦労したといい、渋沢栄一の後妻である渋沢兼子は、子供たちに

 

「大人(渋沢栄一のこと)も論語とはうまいものを見つけなさった。あれが聖書なら絶対守れなかったろうに」

 

と言ったそうです。

 

聖書には「汝、姦淫するなかれ」とありますが、論語は性道徳についてはあまり触れられていないですよね。

 

英雄色を好むということわざがあるように、渋沢栄一の女性関係はかなり盛んだったようです。

 

当時は芸妓さん、娼妓さん、という玄人の女性がいて遊びやすく、妾も「2親等」と合法とされていました。

 

渋沢栄一のようなハチャメチャな私生活も不問だったそうですが、今ならスキャンダルで袋だたきにあい、表舞台から去るしかないですよね。

 

愛人がいっぱいいるのはその時代では当たり前で、大企業のトップも妾の子供が当たり前…今みたいな感覚とはまるで違う時代だったんです。

 

 

お札に渋沢栄一を採用した本当の意味は、異次元の少子化対策なんだろうか…