女性騎手として活躍していた藤田菜七子さんが、引退するという報道が話題になっています。
2023年4月から2024年10月にかけて、競馬場内の調整ルームにスマホを持ち込み、外部と連絡を取っていたことを文春が報じました。
いったい誰がリークしたのでしょうか?
藤田菜七子のスマホ使用をリークしたのは誰?
引用 : 藤田菜七子さんのインスタグラムより
藤田菜七子さんがスマホを持ち込んだことをリークしたのは、やり取りをしていたLINEの相手だと言われています!
現在のところ、リークしたのが誰なのかはわかっていません。
しかし、その相手は1人だけじゃなかったんです。
実は、3人もの人とやり取りをしていたことが明らかになっています。
⽂春はスマホ相⼿の3名に取材をしていますが、誰とは特定されていません。
そのため、ネット上にも誰がリークしたのか気になる人がたくさんいます。
藤田菜七子がまさかこんな形で引退するとは思わなかった…でも今回文春の報道が発端でしかも去年の4月からの携帯電話の持ち込みって、どこの誰がリークしたんだろうか。
— さ (@sasakikiyoyo) October 10, 2024
今頃リークする理由って何なんでしょうか?
信頼していた相手がリークするというのは、残念なことですよね。
騎手仲間がタレコミか⁉
現在、誰がリークしたのかはまだわかっていません。
個人的には、騎士の誰かがリークしたのではないかと思うんですよね。
というのも、今回の出来事は騎士の調整ルーム内でスマホを使用したことが原因だからです。
その場でスマホを使っているところを見れるのは、騎手仲間たち以外無理なんです。
ネット上でも、騎⼿仲間がLINE相⼿でリークしたのではないかと⾔われています。
そう考えると、藤田菜七子さんかわいそう…
これ文春にリークされたのが藤田菜七子ってのが闇深く感じるわ。
そこそこ一般人にも知名度あるからインパクトあるしね。これから先、他の騎手の通信履歴をリークされたくなかったらわかってるよな?って暗示してる気がしない?— カイ🦆 (@zlznb06Ko0J3CYd) October 10, 2024
2023年5月、若手騎手6人のスマホ不正使用事件がありました。
その時、藤田菜七子さんは自分もそういう通信機器を使っていたことをJRAに自ら報告をしているんです。
そして、その際に口頭で厳重注意を受けているそうです。
本人が申告したにもかかわらず、その時に騎乗停止の処分をしなかったのは不思議ですよね。
それなのに、1年半も経ってから文春で報道されたことで、今さら騎乗停止にするなんて有り得ません。
処分が遅すぎるし、公正さに欠けるように感じます。
こうした対応に、ネット上では多くの人が疑問の声をあげています。
藤田菜七子の件事情違くないか…⁇
去年自ら申告して既に処分受けてる内容!?
最初のJRAの発表と180度違うじゃん…
文春にリークされて世間からのバッシングを避ける為にJRAが藤田きったようにしか見えない…引退届だって騒動前に出しててJRAが受理してない状態でそれを昨日あのタイミングで発表て…— Yuto (@zn6zenkiii) October 11, 2024
この流れが正しければ確かに本人は納得できないでしょうね。
藤⽥菜七⼦のスマホ相⼿は誰?
引用 : 中日スポーツ
藤田菜七子さんが、引退のリスクを背負ってまでやり取りをしたかったスマホの相手は誰だったのでしょうか?
とても気になりますよね。
可能性として考えられる人物をあげてみました。
- 近しい友人や知人
- 夫のJRA職員
- 騎手仲間
- 元カレ
スマホでやり取りしていたのが日常的な会話だったとのこと。
友人や知人との何気ない会話だったのかもしれません。
ただ、3⼈のうちの1⼈は藤⽥菜七⼦さんの夫のJRA職員ではないかと言われています。
というのも、⽂春の取材の答え⽅に、夫と思われる⾔い回しが含まれているんですよね。
そのうちの一人は「(持ち込みで)処分された人もいるが?」と聞かれ「(交際していた頃は)厳しい感じじゃなかったので」と答えており、夫のJRA職員がLINEの相手だったのではないかという疑惑も浮上。引用 : RONSPO
この言い方から、過去に交際していたことを示唆する言い方に聞こえますよね。
ただ、元カレということも考えられます。
交際していたら、規則の厳しさは十分に理解していたはずです。
問題になっているのは、2023年4月から2024年10月です。
現在の夫とは約9か月の交際で、2024年8月に結婚しています。
となると、夫と知り合う前の期間も含まれているんですよね。
いずれにしても、過去には処分がそこまで厳しくなかったこともあります。
そのため、今回のような行為に至ってしまったのかもしれません。
つい軽い気持ちでルールを破ってしまった結果ですね。
当時は「大丈夫だろう」という油断があったんでしょう。