2026年10月25日、前橋市議会の入澤繭子市議が、52歳で亡くなりました。

前橋市のサイトに出た「議員逝去のお知らせ」は、亡くなった日付と哀悼の言葉だけの、ごく短いものです。

11月3日、そのお知らせを紹介したXの投稿が広く読まれると、「お若いのに」と言葉を失う声が次々に並びました。

入澤市議の一家と15年ほど家族ぐるみで付き合ってきた、前橋の行政書士の方の投稿です。

近くにいた人でさえ、まだ信じられずにいる知らせでした。

ただ、ご家族と友人の方々があとから伝えた経緯をたどると、「急逝」という言葉の手前に、1年あまりの時間があったことが見えてきます。


喪主と友人一同が伝えた最期

52歳と聞くと、まず「まだ若いのに、どうして」と思ってしまいますよね。

市のお知らせには、その答えになることは何も書かれていません。

ぴょんた
ぴょんた
52歳って、まだまだこれからなのに…。
ご家族と友人の方々が、亡くなるまでのことを書き残してくれています。
konami
konami

10月30日、入澤市議本人のInstagramに、喪主のご家族と「友人一同」の名前で、お知らせが載っています。

ご家族の文面によると、入澤市議は10月25日の夕方に息を引き取ったそうです。

葬儀は本人と家族の意向で、10月29日に近親者だけで済ませたとのこと。

知らせが葬儀のあとになったことを、ご家族はお詫びの言葉とともに書き添えています。

 

亡くなるまでの経緯は、友人一同の文章に書かれていました。

  • 2025年の夏:乳がんの手術を受ける
  • 2026年の春:再発がわかる
  • その後:緩和ケアを受けながら、体の許す限り市議会議員の活動を続ける

そして「最期まで自宅で過ごしたい」という本人の願いのとおりに、家族や友人に見守られながら、10月25日に穏やかに旅立ったと伝えられています。

ご家族のお知らせは翌日にはXでも紹介され、病気のためだったことは、市のお知らせが広まる前から伝わり始めていたわけです。

葬儀を終えてから、ご家族が自分たちの言葉で出した知らせでした。


キッチンカーとこども食堂から市議会へ

入澤市議は前橋市の出身で、議員になる前は、オーガニックのキッチンカー「Soto Café」を開いたり、「まえばしこども食堂」を運営したりしていたそうです。

政治の世界に入ったのは、2020年2月の前橋市議補欠選挙でした。

立憲民主党の推薦を受けた無所属の候補として、3つの議席を6人で争い、2万3652票を集めてトップで当選しています。

選対本部長としてこの選挙の指揮をとった、立憲民主党の堀越けいにん氏の投稿です。

そのあと2021年と2025年の市議選でも当選し、ひとりだけの会派「なないろ」で3期目を務めていました。

 

冒頭の投稿を書いた行政書士の方は、追悼の文章で、入澤市議を「いい意味で、青く、まっすぐ」な人だったと振り返っています。

入澤市議が亡くなる5か月ほど前、行政書士の方が講演会の帰り道を歩いていると、後ろから両肩をつかまれ、振り向くと入澤市議だったそうです。

冗談まじりに政治の話をすると、真剣な顔で立候補を勧められ、「政治家の仲間が欲しい」と言われたとのこと。

友人一同もまた、いつも人の輪の真ん中にいる人だったと書いていました。


手術のあとに迎えた市長の騒動

訃報を伝える投稿には、前橋市の小川晶市長の名前がよく一緒に出てきます。

入澤市議が、市長の騒動のなかで市長に近い立場にいた市議だったからです。

2025年9月、小川市長が市の職員とホテルで会っていた問題が報じられ、市政は大きく揺れました。

小川市長は、市議会が不信任決議案を出す構えを見せるなかで11月27日付で辞職し、2026年1月12日の出直し市長選で再選されています。

 

2025年10月2日に市長が市議会へ説明した場では、市長の公用車を尾行していた人物が市の関係者ではないかという点について、その情報を市がつかんでいるかを質問したと報じられています。

この質問は週刊誌にも取り上げられ、入澤市議は市長の「盟友」として名前が載りました。

冒頭の行政書士の方によると、入澤市議は、その週刊誌の記事で自分の写真を無断で使われたことに、憤慨していたそうです。

今年に入ってからも、取材禁止のイベントに週刊誌の記者が入ってきたことがあり、そのときは気丈に、毅然とした態度で応じていたといいます。

 

手術を受けたのは、2025年の夏。

しかし週刊誌に名前が載ったのは、その手術からまだ間もない秋のことでした。

出直し選までの数か月、入澤市議は手術のあとの体で、その騒動のさなかにいたことになります。

2024年2月、「未来をソウゾウする政治プロジェクト」で一緒に活動する議員仲間が、市長になったばかりの小川市長を訪ねたときの投稿で、入澤市議の名前も並んでいました。


療養明けに立った9月の議会

今年の春に再発がわかってからも、入澤市議は議員の仕事を手放していません。

友人一同が書いた「体の許す限り」とは、どんな日々だったのでしょうか。

9月1日、本人のInstagramに、こんな投稿があります。

出典:入沢まゆ子-入澤繭子【前橋市議会議員】(@irisawamayuko)のInstagram(2026年9月1日の投稿)

長く休んだお礼に続けて、療養から戻る日に高速道路で事故に巻き込まれ、顔や首、肩をけがしたと書かれていました。

それでも「全ての厄落としだと思って、心機一転してまいります!」と結び、学校の統廃合や英語教育、観光と移住について質問する予定を、日時まで添えて知らせています。

投稿の最後は「それでは、整形外科に行ってきまーす!」でした。

 

9月9日の投稿によると、市政全体について質問する総括質問の日、入澤市議は自分の番が来るまで自宅で休ませてもらい、ほかの議員の質問は中継で聞いていたそうです。

「まだ体が痛むので」と書き、傍聴に来てくれた人には、議場にいなかったことで心配をかけたと謝っています。

それでも登壇して質問をやり終え、16日の委員会にも出る予定だと続けていました。

その16日に載せた、地元の大島梨を「勝手に応援隊!!」する短い動画が、本人がInstagramに残した最後の投稿です。

 

友人一同の「体の許す限り」という言葉は、こういう日々のことだったんだと思います。

外から見れば、10月25日の訃報は突然でした。

けれど本人の側から見れば、手術から1年あまり、病気を抱えたまま議員の仕事を続けてきた時間の、その終わりだったんです。

「急逝」と書かれた知らせの手前には、「整形外科に行ってきまーす!」と書いた人の、議員としての毎日が続いていました。

 

ご家族と友人の方々は、日時と会場が決まりしだい、本人のInstagramで「お別れの会」を知らせるとしています。

思い出を語り合い、ときには笑い合える、入澤繭子らしい温かな時間にしたい、とのこと。

「政治家の仲間が欲しい」と人を誘っていた人が、緩和ケアを受けながら議場に戻っていたと知って、胸がつまる思いです。

入澤繭子市議のご冥福を、心よりお祈りいたします。