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鬼滅の刃・無限城編第一章はどこまで?猗窩座再来のネタバレ&感想まとめ

 

劇場版「鬼滅の刃 無限城編 第一章」がついに公開され、SNSでは「猗窩座の物語が泣ける」と話題を呼んでいます。

猗窩座といえば、かつて煉獄杏寿郎と壮絶な死闘を繰り広げた上弦の鬼。

その彼が再び登場するこの章は、ただのバトルアクションでは終わりません。

人間だった頃の悲しき記憶、柱たちの命をかけた戦い、そして“透き通る世界”に込められた真意。

原作の名シーンが圧巻の映像美でよみがえり、多くのファンが胸を打たれました。

この記事では、猗窩座の過去に迫りながら、第一章で描かれた各バトルの見どころ、そして心を揺さぶるクライマックスまでを、まとめました。

あの戦いの裏に隠された“始まり”

 

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映画館の暗がりの中、「猗窩座再来」のタイトルが浮かび上がった瞬間、私は無意識に息を呑んでいました。

鬼滅ファンの一人として、この第一章がどこまで物語を描くのか、始まる前から期待と緊張が入り混じっていたのを覚えています。

物語の幕開けは、「柱稽古編」の終盤――産屋敷邸での鬼舞辻無惨との対峙から始まります。

余命わずかな産屋敷耀哉(うぶやしき かがや)は、自らの命を犠牲にして無惨を足止めすべく、自爆で巻き込むという策略を実行します。

彼の行動は、ただの捨て身ではなく、鬼殺隊の未来を託した渾身の一手でした。

その場面で、珠世が無惨に“人間に戻す薬”を打ち込む描写も登場。

この薬により、時間を稼ぎ無惨の弱体化を狙うという、戦いの全体像が浮かび上がります。

ただし、無惨は鬼殺隊の面々を無限城へ引きずり込むことで、逆に戦場をコントロールしようとするのです。

一方、耀哉の死後に指揮を引き継ぐのは、息子の輝利哉(キリヤ)。

彼と姉妹のクイナ、カナタが冷静に戦局を分析し、無限城への対応を進める姿は、年齢を超えた強さを感じさせます。

そんな彼らを護衛するのは、元炎柱の煉獄槇寿郎と音柱の宇髄天元。

この護衛体制は映画のオリジナル要素と思われますが、柱たちの世代交代や遺志の継承が映し出されており、深い感慨を呼びました。

この導入部で描かれるのは、単なるアクションではなく、誰かの犠牲が次の意志に繋がっていくというテーマ。

死を恐れず、未来を託すという耀哉の決断が、炭治郎たちの戦いの土台として静かに、しかし強く刻み込まれていました。

全体として、第一章のスタートは想像以上に濃密で、情報量の多さと演出の緊迫感に一気に引き込まれました。

「猗窩座再来」というタイトルが、この導入の流れとどう繋がっていくのか──その先を追わずにはいられませんでした。

極限バトルで試される絆と覚悟

 

「鬼滅の刃 無限城編 第一章」では、3つの戦いが立て続けに描かれます。

  • 胡蝶しのぶ vs. 童磨
  • 我妻善逸 vs. 獪岳
  • 竈門炭治郎&冨岡義勇 vs. 猗窩座

どの戦いにも、過去と因縁、そして命を賭けた覚悟が詰まっていました。

まず幕を開けるのは、蟲柱・胡蝶しのぶと上弦の弐・童磨の一騎打ち。

原作では早々に退場することも多かったしのぶですが、劇場版ではその戦いぶりが鮮烈に映し出されます。

彼女は、自らの命と毒を武器に、童磨の体内に毒を注入する形で致命傷を狙うという戦略を選びます。

その覚悟の深さには、思わずスクリーンに釘付けになりました。

映画では彼女の強さと脆さ、そして背負う決意が美しくも痛々しく描かれており、「柱」としての責任の重みが伝わってきます。

 

次に登場するのが、雷の使い手・我妻善逸と、かつての兄弟子であり現在は鬼となった獪岳との対決。

二人は同じく雷の呼吸を習得した師匠・桑島慈悟郎の弟子であり、その師匠は獪岳の裏切りにより命を絶っています。

この戦いは、単なる技の応酬に留まらず、善逸が自身の過去と向き合い、師の想いに応えようとする姿が胸を打ちます。

善逸は、独自に編み出した「漆ノ型 火雷神」で獪岳に立ち向かいます。

これまでの臆病な彼からは想像できないほどの迫力と速さに、思わず息を飲む観客も多かったのではないでしょうか。

その一撃には、師への恩と、兄弟子への決別が込められており、善逸というキャラクターの新たな一面が見えた場面でした。

この2つの戦いは、どちらも「ただ勝つ」ための戦闘ではありません。

守るべきもの、過去との決別、そして愛する人のために戦うという動機が、それぞれの剣に込められているのです。

だからこそ、観ていて苦しく、しかし目を逸らせない。

炭治郎&義勇と猗窩座の戦いは次章に描かれますが、これら2戦だけでも十分に「命を削る戦い」がどういうものかを見せつけられます。

第一章は戦闘シーンが濃密で、どれも“感情の蓄積”が背景にあるため、単なるアクションとは違う余韻が残りました。

義勇と炭治郎、煉獄の遺志を継ぐ時

 

「猗窩座再来」と題されたこの第一章のクライマックスでは、水柱・冨岡義勇と竈門炭治郎が、上弦の参・猗窩座に挑みます。

この戦いは、過去の因縁に決着をつけるだけではなく、柱たちの遺志を受け継ぐ者たちの“覚悟”が試される決戦として描かれています。

猗窩座といえば、「無限列車編」で煉獄杏寿郎を討った存在。

その因縁を背負う炭治郎と義勇の共闘は、煉獄の死を乗り越えたふたりの成長の証として、映画でも圧巻のスケールで表現されています。

とりわけ注目すべきは義勇の描かれ方です。

義勇はこれまで、親友・錆兎に助けられて最終選別を生き残ったという過去に、深い罪悪感を抱えてきました。

仲間に心を開くことができなかった彼が、炭治郎と行動を共にする中で、少しずつその殻を破りはじめます。

そして猗窩座との戦闘中、義勇の顔に“痣”が現れます。

これは、極限状態で発現する特別な力の証であり、剣士として一段階上の領域へと踏み込んだ象徴でもあります。

義勇が痣を発現させた瞬間は、これまでの迷いや後悔が吹き飛ぶような強い覚悟が見えました。

 

一方の炭治郎もまた、父・炭十郎の記憶や戦いの中でつかんだ「透き通る世界」の感覚を、戦闘中に理解していきます。

猗窩座の“闘気”を感じ取り、動きの無駄を排することで、自らの動きが研ぎ澄まされていく──

その過程が自然かつ緊張感たっぷりに描かれ、技の一発ごとに重みがある戦いとなっていました。

猗窩座は、強者を求める本能のままに義勇の強さを認め、対峙します。

原作では煉獄との間での対話が印象的でしたが、今回の戦闘でもその“強さに惹かれる”性質が垣間見え、義勇とのやり取りに映画オリジナルの深みが加わっていたように感じられます。

この猗窩座戦では、純粋な戦闘力だけでなく、「乗り越えたい過去」や「守りたいもの」が彼らの剣に宿っており、それが劇場の空気を一変させるほどの熱量を持って伝わってきました。

義勇と炭治郎、それぞれが自身の弱さと対峙しながら、煉獄の意志を継ぐ者として立ち上がる姿。

それはただの“鬼退治”ではなく、人としてどこまで強くなれるのかという命題へのひとつの答えにも思えました。

なぜ猗窩座は戦いを止められなかったのか

劇場版「鬼滅の刃 無限城編 第一章」の終盤では、上弦の参・猗窩座の人間時代に焦点が当てられます。

彼がなぜここまで“強さ”に執着するのか、その根底にある喪失と絶望が、静かに、そして痛烈に描かれていました。

猗窩座――かつて「狛治(はくじ)」と名乗っていた少年は、貧困と病に蝕まれる日々を過ごしていました。

父を救うために盗みを繰り返した彼に、父は「正しく生きろ」と言い遺し、命を絶ちます。

孤独に絶望しかけた狛治を拾ったのが、素流道場の師範・慶蔵とその娘・恋雪でした。

狛治は恋雪の看病を続けながら鍛錬を積み、心を閉ざしていた彼にも新たな感情が芽生えていきます。

若くして隣の剣道場の跡取り息子たちに勝ち、恋雪との婚約も決まり、ようやく人生に明るい兆しが差し込んだかに見えました。

 

ところがその幸福は、ほんの一瞬で崩れ去ります。

恋雪と慶蔵は、剣道場の跡取り息子たちによって井戸に毒を入れられ、命を奪われてしまうのです。

大切な人と築こうとした未来は、嫉妬と私欲によって無残に壊されました。

怒りに我を忘れた狛治は、剣道場を単身で襲撃し、手当たり次第に叩き潰してしまいます。

その異常な強さを見込まれ、鬼としての道へ誘われた彼は、やがて「猗窩座」として上弦の地位に昇り詰めることになります。

 

しかしその後も、彼の中では「誰かを守りたかった」という純粋な想いが、無意識に燻り続けていたのかもしれません。

猗窩座の術式展開時に現れる模様が、恋雪の髪飾りを彷彿とさせる描写や、かつて素手で真剣を砕いた技を鬼になっても使っていることが、それを示唆しているように思えます。

炭治郎との戦いの終盤、首を斬られてもなお進化を遂げようとする猗窩座。

その執念を止めたのは、自身の中に眠っていた“狛治”の記憶でした。

「正しく生きろ、まだやり直せる」

父の言葉と、恋雪との約束を果たせなかった後悔が、彼の足を止めさせたのです。

最終的に猗窩座は、戦いの中で「自分こそが最も弱い存在だった」と悟り、自らを消滅させる選択をします。

この結末は、単なる敵キャラの退場ではなく、“弱さ”と向き合い続けてきたひとりの人間の物語として、深い余韻を残しました。

鬼の終焉と生き残った者たちの次なる覚悟

 

猗窩座の壮絶な最期を経て、劇場版「無限城編 第一章」は一つの幕を閉じます。

しかし、それはあくまで“通過点”。

本当の終わりはまだ、遥か先にあるのです。

炭治郎と義勇は、命がけの戦いを乗り越え、生き残りました。

その代償として残ったのは、深い疲労と心に刻まれた喪失感。

胡蝶しのぶの決死の戦いと、善逸の壮絶な戦い――

それぞれの戦場で散った想いや怒り、そして涙が、なお彼らの背中を押しているようでした。

戦いの直後、炭治郎は静かに問いかけます。

「なぜ、自分はここに生き残っているのか」

それは彼が初めて直面する、戦いを超えた問い。

自分の力、運命、背負うもの――あらゆる要素が重なり合い、彼は答えを探す旅を続けることになります。

 

義勇もまた、猗窩座との死闘を通じて炭治郎との信頼を深めていきます。

かつては距離を置いていたふたりが、言葉少なに理解を交わす姿には、これまでに積み重ねた戦いの重みがにじんでいました。

物語の終盤では、無限城の奥底に潜むさらなる脅威の気配が描かれます。

上弦の壱・黒死牟や鬼舞辻無惨の存在感が示唆され、観る者の緊張感は一層高まっていきます。

これまでの戦いは、序章に過ぎなかった――

そう思わせるだけの“闇の深さ”が、この城の底にはまだ眠っているのです。

そして、暗転。

炭治郎の姿が静かに映し出され、余韻を残しながらエンドロールが始まります。

静寂の中に鳴り響く劇伴、燃え尽きた剣士たちの呼吸が、劇場を包みました。

「第一章」は、ただのアクションではなく、生と死、決意と迷い、そして信念が交錯する人間ドラマでした。

命を賭しても守りたいものがある

その事実が、スクリーン越しに観客の心に深く突き刺さります。

果たして、次に試されるのは誰なのか。

柱たちはどんな選択を迫られ、どんな結末を迎えるのか。

すべては、次章「無限城編 第二章」へと委ねられます。

鬼滅の刃・映画の感想まとめ

 

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「え、これ155分あったの……?」

気づけば終わっていた。

そんな感覚になる映画でした。

劇場版『鬼滅の刃 無限城編 第一章』は、ひと言で言うと“感情を制圧される155分”。

圧巻の映像と音響が、序盤から容赦なくこちらの感覚を奪っていきます。

 

まず、その映像美。

刃が空を裂く瞬間、髪が揺れる細かな描写、キャラクターの目に映る光――

アニメとしての域を超え、まさに“観る芸術”と呼ぶにふさわしいものでした。

そして感情面への攻撃力が凄まじい。

原作でも泣ける名シーンは数あれど、今回はその感情を何倍にも増幅して、容赦なく叩きつけてくる演出でした。

しのぶの決死の戦い、義勇の痣発現、猗窩座の記憶――

いずれも静かに、しかし確実に観客の心を締め付けます。

劇場内では、あちこちから鼻をすする音。

あのシーン、この台詞、その一瞬の表情で涙腺が崩壊する。

もはや“泣ける映画”というレベルではなく、“泣く設計”が施されていると言っても過言ではありません。

特に猗窩座の回想シーンでは、喪失と後悔、そして再生へのわずかな願いが重く響き、観る側も自分自身と向き合わされるような感覚に。

あそこはもう、理性で涙を止めるのは無理です。

しかも、この155分が“長い”と感じない。

むしろ情報と感情の密度が濃すぎて、時間の感覚が麻痺するという不思議な体験。

次から次へと展開する濃密なシーンに、気づけば体力もメンタルもごっそり持っていかれました。

そして、この完成度で……鑑賞料金でこの密度とクオリティは、正直信じられないレベル。

「これ、体験できただけで得してるよね?」と感じる、極めて稀有な作品です。

ちなみに、ハンカチでは完全に戦力不足。

後半は涙が止まらず、袖で拭いていた人も多数。

願わくば、次回の特典はスポーツタオルにしてほしい

そんな冗談も思わず本音に聞こえるほどの、強烈な感動作でした。

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