ふわっちで、人気ライバーとして活躍していた最上あいさん。
しかし、その人生を覗いてみると「波乱万丈」どころの話ではありませんでした。
山形での過酷な幼少期、施設育ち、シングルマザーとしての苦悩、キャバクラ勤務、そして配信者としての成功と転落。
華やかな配信生活の裏では、金銭トラブルや人間関係の崩壊が進行し、最終的にはライブ配信中に刺殺されるという衝撃の最期を迎えました。
なぜ彼女は「ここまで壮絶な人生」を歩むことになったでしょうか?
今回は、最上あいさんの生い立ちから、その悲劇的な結末までをまとめました。
目次
最上あいのプロフィール|身長・年齢・本名は?

引用 : @mogami1024yuiのxより
最上あいさんのプロフィールがこちらです。
名前 | 最上あい(もがみあい) |
本名 | 佐藤愛里(さとうあいり) |
生年月日 | 2002年10月24日 |
年齢 | 22歳(2025年3月時点) |
身長 | 155cmぐらい? |
体重 | 43.2kg(シンデレラ体重) |
出身地 | 山形県山形市 |
直近の住所 | 東京都多摩市 |
職業 | ライバー |
所属事務所 | 株式会社ORNIS(オルニス) |
山形県で生まれるも家庭の影(幼少期)

引用 : https://e-fns.co.jp/municipality/yamagata_introduction
山形市で生まれ育った最上あいさん。
のどかな田舎町でのびのび育った…かなり複雑だったようです。
両親との関係は薄く、特に母親とのエピソードはほとんどなし。
一部の情報では、母親は市内の繁華街で飲み歩いていたそうで、なんと最上あいさんが後に働くキャバクラにも客として訪れていたんだとか。
ちなみに父親についての情報はほぼゼロ。
家族団らんとは程遠い環境だったのは間違いなさそうです。
そんな背景もあり、彼女は両親がいるのにも関わらず、幼少期に児童相談所や養護施設に預けられていたとされています。
その理由として、貧困や家庭不和、さらには虐待の可能性まで囁かれていますが、真相は謎に包まれたまま。
養子縁組を経て別の家庭に引き取られたという話もありますが、そこでも温かい家庭には恵まれなかったとも言われています。
山形市といえば自然豊かでのんびりしたイメージがありますが、彼女にとっては「癒しのふるさと」ではなく「苦い記憶が詰まった土地」だったのかもしれません。
こうした壮絶な過去が、彼女を配信やキャバクラの世界へと押し出す要因になった可能性は高そうです。
施設での生活(小学生~中学生時代)

引用 : 国土交通省
親元を離れ、施設での生活がスタート。
「家に帰りたくない」じゃなくて、「帰る家がない」。
そんな状況に、小学生の最上あいさんは直面することになります。
普通なら、学校から帰ったら
「お母さん、今日のご飯なに~?」
なんて言う年頃ですが、彼女にとってはそんな当たり前のやりとりが夢のような話。
施設では大勢の子どもたちと共同生活。
自由は制限され、個別の愛情を受ける機会もほぼゼロ。
「なんで自分だけこんな人生?」
そう思いながらも、耐えるしかなかったのかもしれません。
一方、母親は山形市内で相変わらず飲み歩いていたという噂も。
まさかの「娘と一緒に暮らす」よりも「お酒と暮らす」選択肢を選んでいた可能性があるとか…。
もしそうだとしたら、親ガチャ大ハズレレベルです。
しかも、施設での生活は決して快適なものではなく、貧困とも隣り合わせ。
満足な衣食住が得られない時期もあったとされ、まさに生き抜くためのサバイバル生活。
中学生になると、さらに試練はレベルアップ。
思春期って、ただでさえ「自分って何?」と悩む時期なのに、彼女は家庭環境の違いを嫌でも突きつけられることに。
同級生が「うちのママがね~」なんて話しているのを聞いても、「うちのママ?」ってなるわけです。
ネット上では、この時期に虐待を受けていたという噂もあり、施設や一時的な養子縁組先での過酷な扱いが心に深い影を落としたとも言われています。
もはや
「大人なんて信じられない!」
って思っても仕方ないレベル。
でも、その一方で「自分の力で生き抜くしかない!」という強い意志が芽生えたのもこの頃だったのかもしれません。
こうして、小学生から中学生にかけての施設生活は、最上あいさんの人生に大きな影響を与えました。
「親からの愛情?なにそれ美味しいの?」状態で育ち、普通の青春なんてどこにもない。
でも、その過酷な経験が、後に彼女を配信やキャバクラの世界へと導き、唯一無二の人生観を作り上げることになります。
高校生時代

18歳での出産とシングルマザーの苦悩(18~19歳)

引用 : @news_postsevenのxより
最上あいさんは、18歳で母になりました。
普通なら
「大学どうしよう?」
「就職は安定重視?」
なんて悩む時期ですが、彼女が考えていたのは「どうやって子どもを育てるか」でした。
未婚のままシングルマザー
しかも施設を出たばかりの状態。
妊娠が発覚したのは、高校卒業直後か、あるいは上京した直後とも言われています。
「おめでとう!」と祝福してくれる環境ではなかったのは間違いありません。
父親の存在についての情報はほぼなく、そもそも頼れる相手だったのかすら不明。
「よし、もう一人でやるしかない!」
と、腹をくくるしかなかったわけです。
18歳での出産。
病院のベッドで、赤ちゃんの泣き声を聞いたとき、彼女はきっとこう思ったはず。
「自分を育てた親はそばにいなかった。でも、この子の親は私がなる。」
しかし、ここからが本当のサバイバル。
産後すぐ、彼女は「シングルマザー × 貧困」という二大コンボを食らうことに。
お金はない、育児は24時間体制、助けてくれる人もほぼゼロ。
母子支援施設に頼りながら何とか暮らしていましたが、経済的困窮と育児の重圧は容赦なく襲いかかりました。
さらに、「若すぎる母親」というだけで、世間の目は冷たい。
「遊んでるからこうなるんだよ」
みたいな勝手な偏見までついてくる始末。
いやいや、
遊んでる暇なんて1ミリもないわ!
そんな厳しい状況でも、彼女は「私がこの子を守る!」という気持ちだけで踏ん張ります。
でも、現実は甘くない。
「育児と仕事、両立とか言うけど…無理ゲーじゃね?」
というレベルの厳しさ。
子どものために働かないといけない、でも働いている間に子どもを見てくれる人がいない。
じゃあどうする?
彼女が出した結論は「とにかく稼ぐしかない!」でした。
ここで彼女は、キャバクラや配信といった夜の世界に足を踏み入れることになります。
普通のバイトでは間に合わない、
でも手っ取り早く稼ぐ方法があるならやるしかない!
そう考えた結果だったのでしょう。
でも、その決意の裏には、深い孤独と葛藤もあったはず。
「これが普通の人生だったら…」と思う瞬間もあったかもしれません。
でも、彼女には選べる道なんてなかったんだと思うんですよね。
選ぶのではなく、進むしかない。
それが、最上あいの生き方だったのかもしれません。
キャバクラと育児放棄の始まり(19~20歳)

18歳で母になり、シングルマザーとして奮闘していた彼女。
しかし、19~20歳の彼女は、まるで「ジェットコースターが急降下した後、レールが途中でなくなってた!」みたいな人生に突入していきます。
貧困と孤独の中、彼女は「生活のため!」とキャバクラの世界へ。
しかし、その選択が「子どものために頑張るママ!」から育児どころじゃない…へと変わっていくことになっていきます。
19歳を過ぎた最上あいさんは、生活費と子育ての資金を稼ぐためにキャバクラで働き始めました。
そりゃあ、シングルマザーで頼れる人がいないなら「短時間で稼げる仕事」に行くのは当然の流れ。
しかし、キャバクラの仕事は華やかなんて言ってる場合じゃない。
- お酒飲む!
- 気を遣う!
- 夜遅くまで働く!
の三拍子そろったハードワーク。
しかも、家に帰れば
- 赤ちゃんの夜泣き
- おむつ替え
- 寝不足
の三重苦。
もうね、「寝るって何?それって美味しいの?」状態。
最初は「子どものために!」 だったキャバ嬢生活も、次第にストレス発散の場になり始めます。
キャバクラの仕事に慣れてくると、彼女の生活リズムも変わり始めたと思います。
最初は「仕事が終わったらすぐ帰る!」だったのが、気づけば「ちょっと飲んでから帰ろうかな…」最終的には朝帰りが当たり前になっていったわけです。
でもその結果、託児所に子どもを預けっぱなしにする日々が続きます。
この時点で、「育児」というより「子ども、どこかにいる…はず!」みたいな状態になっていたのかもしれません。
周囲の証言によると、彼女は子どもを親戚や知人に預けっぱなしにしたり、放置することも増えていったとのこと。
まさに、子どもの存在が生活の中心から遠のいていく瞬間だったのかもしれません。
報道によりますと、2023年時点で最上あいさんと子供は母子支援施設に住所があったそうです。
生活が苦しくて一人では子供を育てることが出来ず、助けを求めるしかなかったんだと思います。
19~20歳、最上あいさんの人生は大きく狂い始めた。
キャバクラでの経験は彼女に稼ぐ力を与えた半面、同時に「母親としての役割を捨てた」という消えない影も刻まれたのです。
上京しふわっちでの飛躍(20~21歳)

金銭トラブルと悲劇の終幕(22歳)

引用 : NEWSポストセブン