国勢調査員の方が、訪問先で倒れて亡くなった——
そんなニュースを見て、なんとも言えない気持ちになりました。
「なぜ、この暑さの中、80歳の方が一軒一軒まわっていたの?」
「ネットで済むのに、訪問って本当に必要なの?」
でも、ただの“やり方の古さ”では済まされない背景があるようです。
その背景には、長年放置されてきた仕組みのゆがみがありました。
調査員のなり手不足、報酬の低さ、町内会の無言の圧力……
ふだん表に出てこない「国勢調査の裏側」を知るたびに、制度の限界がじわじわ見えてきました。
この記事では、訪問制の理由から調査員の報酬の実態、そして制度が抱える根本的な限界まで、やさしく深掘りしていきます。
なぜ国勢調査は訪問制なのか

引用 : 総務省統計局
「まだ手渡しなの?」
国勢調査の季節になると、玄関のチャイムと同時に、そんな声が頭をよぎります。
ネットで回答できるし、郵送も可能。
なのに最初は“訪問”って、時代錯誤じゃない?と思ってしまう方も多いのではないでしょうか。
ですが、この訪問方式には明確な理由があります。
それは「住民票」ではなく、「実際に住んでいる人」を把握するため。
たとえば、住民票を移さずに引っ越した人。
長期出張で別住所に住んでいる人。
表札が出ておらず、郵便だけでは居住の有無が分からない住宅もあります。
こういったケースでは、ポスト投函やネットでは「住んでいる実態」が見えない。
そのため、実際に足を運び、確認するしかないというわけです。
でも、現代は「ピンポンが鳴っても居留守」が当たり前の時代。
知らない訪問者は、不安や警戒心を呼びやすく、調査員の方も「なかなか会えない」「不審者扱いされる」と頭を悩ませているようです。
X(旧Twitter)では、
「日中は仕事で不在なのに来られても無理」
「訪問でしか渡せないって誰が決めたの?」
「マイナンバーとの連携は難しいの?」
といった声が目立ちます。
確かに、マイナンバーとの連携が進んでいれば、国勢調査の一部は自動化できそうにも思えます。
ですが、個人情報の扱いやプライバシー保護の観点から、今のところそうした仕組みは採用されていません。
一部の自治体では、ポスト投函も許可されているとの情報もありますが、運用にはばらつきがあります。
「訪問が基本」としつつも、「不在時は投函も可」とする柔軟な対応が求められているのが実情です。
さらに最近では、高齢の調査員が酷暑や階段移動で体調を崩すケースも報告されています。
ネットでは「うちにも高齢のおばあちゃんが来た」「ヨボヨボの調査員だったけど心配になる」といった投稿も。
調査制度の“目的”は納得できるとしても、“やり方”が今の社会に合っているかというと、疑問が残ります。
たとえるなら、「スマホ決済が主流の時代に、“現金手渡ししか認めません”と言われるようなもの」。
制度としての正しさと、現場でのリアルが食い違っている。
この“ズレ”こそが、多くの人がモヤモヤしてしまう原因なのかもしれません。
調査員の報酬は割に合うのか

「これ、ほぼボランティアですよ…」
そんな声が、SNSで何度も見かけます。
国勢調査の調査員は、非常勤の公務員という立場で任命されます。
ですが、実際の現場では「自治会の役員」「町内会長経験者」など、地域に根ざした人たちに割り振られることが多く、「なんとなく断りにくい雰囲気で引き受けた」という声が目立ちます。
では、その報酬はどれくらいなのでしょうか?
たとえば、2025年の調査では、1調査区(約50~70世帯)で報酬は約4~5万円が標準。
これは自治体によって若干異なりますが、長崎市では4万円、小平市では5万円と発表されています。
この額、一見するとそこそこにも見えます。
しかし、実際にかかる時間や労力を考えると話は別です。
- 調査区内の事前下見
- 説明会への参加(2回以上)
- 配布・訪問・回収
- 世帯ごとの進捗管理と報告
これらをすべて含めると、実働は数週間+準備に及びます。
Xでは、95世帯を担当した調査員が「トータルで時給換算すると数百円レベルだった」とつぶやいていました。
現場の声として、「手間の割に合わない」と感じる人はかなり多いのが現実です。
さらにはこんな声も。
「不在が多く、何度も訪問。夜に行っても出てくれない」
「“うちは結構です”ってドア越しに冷たく断られた」
「訪問すると話し相手が欲しいお年寄りに30分つかまる」

そんな状況の中、断りたくても断れない空気があるとも言われています。
「町内で他にやれる人がいない」
「断ると誰かに迷惑がかかる」
実際、「断ると代わりを探す空気があり、実質強制みたいなもん」という声も見かけました。
そして、今回の2025年調査。
開始直後から、高齢の方が多く調査員として動員されている実情が浮き彫りになりました。
兵庫県姫路市では、調査中の80歳の調査員が死亡するという痛ましい事故も起きています。

高齢化が進む中で、調査員の多くをシニア層が担っている現実。
階段の上り下り、酷暑の移動、時には不審者扱い

報酬が少なくて、仕事は多くて、文句まで言われる。
それでも引き受ける人がいるのは、「地域のつながり」や「責任感」があるからでしょう。
でも本当は、そうした善意だけに頼っていい制度なのか?
いま一度、問い直す時期に来ているのかもしれません。
国勢調査は制度の限界
「もう限界でしょ、このやり方…」
そんな声がSNSには日々流れています。
国勢調査は、人口や世帯構成などの基礎データを収集する、国にとっては非常に重要な調査です。
この結果が、地方交付税やインフラ整備、福祉政策など、あらゆる行政サービスの根拠になる。
それ自体は、誰も否定しないはずです。
ですが──その“やり方”が、今の時代に合っていないんですよね。
このズレが、あちこちで悲鳴を生んでいます。
たとえば、都心では共働き世帯や単身者が多く、不在家庭に何度訪れても会えない。
一方、地方では調査員のなり手が少なく、結果的に高齢の方に大きな負担がのしかかるケースが多くなっています。
「自分の親だったら絶対やらせたくない」という声も、決して少なくありません。
Xにはこんな投稿もあります。
「住民票やマイナンバーで代替できないの?という声も多い」
「今どき対面で確認しないとダメって、どういうこと?」
「全戸訪問にこだわる理由がもう分からない」
実際には、オンライン回答やポスト投函はすでに導入済み。
ですが、それでも「訪問を基本とする運用」が維持されているのが現実です。
もちろん、制度側の言い分も理解できます。
「実際に住んでいるかどうか」は住民票では分からない。
転入・転出を市役所に届けない人もいるし、空き家に見えて住んでいる人もいる。
けれども——
「そこまでして全戸訪問する必要があるのか?」
「調査方法そのものを見直す時期に来ているのでは?」
という疑問に、まっすぐ答えてくれる説明は、まだ見かけません。
制度疲労。
それは、制度そのものが悪いのではなく、時代に合わせて更新されないことで起こる問題です。
そして今、国勢調査という仕組みにも、その疲労がじわじわと現れています。
「国勢調査=訪問」という形が、慣習として固定化しているように見える。
本来の目的よりも、やり方を守ることが目的になってしまっているような印象すらあります。
制度の目的は正しい。
けれど、そのために必要な“手段”は、本当にこのままでいいのでしょうか?
ここであらためて、この記事のタイトルを思い出してください。
国勢調査員の訪問は必要か?報酬額の矛盾と見えてきた国勢調査の闇
この“国勢調査の闇”とは、派手なスキャンダルの話ではありません。
それは、調査員として報酬に見合わない労働を担い、断りづらい空気の中で、地域の“顔なじみ”が消耗していく現実。
そのうえ、制度の“やり方”だけが変わらないまま、ずっと放置されてきた構造のことです。
誰かの声が、制度を動かすきっかけになるかもしれません。

この一言から、次の5年後をもっとラクにできる可能性もあるはずです。
さて、次は誰が調査員を引き受けますか?