イランとイスラエルが戦争になった理由
2025年6月。
ついに、イランとイスラエルの長年の対立が「本当の戦争」へと近づいています。
きっかけは、2024年からの一連の攻撃の応酬が続き、2025年6月13日にイスラエルがイランの核関連施設を攻撃したこと。
ここから一気に、報復の連鎖が表舞台に出てきました。

この対立、じつは何十年も前からジワジワとくすぶっていたんです。
1979年のイラン・イスラム革命が、ひとつの大きなターニングポイントでした。
それまでイランとイスラエルは、どちらも親米国家としてそこそこうまくやっていたんです。
でも、イランにイスラム体制ができてから一変。
イスラエルのことを「シオニスト政権」と呼び、「絶対に認めない」という姿勢に変わりました。
イスラエルとイランの問題を考えるときの参考に、糞雑相関図 pic.twitter.com/0lG1hU4pF5
— アプロ (@rUyaCVtIiRxgC9M) June 13, 2025
さらにイランは、レバノンのヒズボラやパレスチナのハマスなど、イスラエルと対立する勢力に支援を始めました。
「それ、テロ支援じゃん!」とイスラエルは猛反発。
一方でイランからすれば、「占領されてる人たちを守るのは当然でしょ?」という考え方。
どちらも“正義”を主張していて、まさに平行線なんです。
しかも、宗教やイデオロギーの違いも大きい。
シーア派のイランと、ユダヤ国家のイスラエル。
歴史観も価値観もバラバラ。
だから、対話すら難しいんです。
ここに「核」の問題が加わって、火薬庫に火がつきました。
イランは「平和利用」と主張するが、イスラエルはそれを信じていないんですよね。
「もし核兵器を持たれたら、うちの国が消える」
と考えて、サイバー攻撃や科学者の暗殺、そして今回の核施設攻撃に踏み切ったわけ。
でもイランからすれば、「自衛のための技術に手を出しただけなのに…」という認識。
Xでは、こんな声が飛び交っています。
「イランに核を持たせたくないなら、もっと外交で止める努力しなよ」
「イスラエルは攻撃しすぎ。パレスチナ問題も放置してるくせに」
逆に、イスラエル側の立場を支持する人たちはこう言います。
「ヒズボラもハマスも、イランの後ろ盾があるから調子に乗ってる」
「黙ってたら今ごろテルアビブが火の海になってるよ」
結局、お互いが「やられる前にやれ」という心理で動いているんです。
まるで、夜道ですれ違った二人がお互いに「撃たれるかも」と警戒して、先に手を出すようなものです。
そして、これまで「影」で行われていた衝突が、いま「表」で始まってしまった。
それが、2025年のいま起きている「公然の戦争」です。
でも、本当にどっちが悪いんでしょうか?
どっちが悪いのか
正直、この問いに“ズバッと答えてくれる人”って、だいたい偏ってます。
「イランが悪いに決まってる」
「いやいや、イスラエルの方が暴力的じゃん」
どちらの立場もXにはゴロゴロ転がっています。
でも、戦争って、そんなに単純な「悪者探し」で片づけていいものでしょうか。
たとえば、もしあなたの家に誰かが石を投げてきたら?
当然「やめろ!」って言いますよね。
でもその相手が「だってお前、昔ウチに火つけたじゃん」と言い返してきたら…。
どっちが悪いのか、一気にグレーになります。
イランとイスラエルの関係って、そんな感じです。
イスラエルは、標的を絞ったピンポイント攻撃しかしないので、建物の他の部分は全く被害を受けていない。
一方、イランは、民間人が多く住むテルアビブへ向けて、無差別に弾道ミサイルを撃ち込む。
まさに、法治国家とテロ国家の違いだ。 pic.twitter.com/9xwWlhndzr
— Mokuren(モクレン)🎗️ (@Mokuren3847311) June 14, 2025
まずイランの立場から見てみましょう。
イランは「自分たちは守っているだけ」と主張します。
- イスラエルにシリアのイラン大使館敷地内の施設を攻撃された
- 科学者を暗殺された
- 核関連施設まで狙われた
だから報復する。
これは国連憲章51条にある「自衛権の行使」だと。
そして、パレスチナの人たちがイスラエルに土地を奪われ、苦しんでいる。
そこを助けるのは当然の道理。
「だからハマスにも支援する」というわけです。
一方、イスラエル側の論理はこうです。
イランが支援するヒズボラやハマスは、イスラエルの市民に向けてミサイルを撃ってくる。
「うちの国を消そうとしてるやつらに支援してるって、もう戦争じゃん」と。
しかも、イランの核開発は、国際的な監視下にあるものの、イスラエルには不透明で脅威と映る。
「もしあれが核兵器だったら、何十万人の命が一瞬で吹っ飛ぶ」
だから、止めなきゃいけない。
これは“自衛”だと主張します。
…ね?
どっちも「自分の命を守るため」と言ってるんですよ。
そしてここに、“報復”という魔物が入り込んできます。
誰かが攻撃する。
すると、やられた側が「正義の報復」だと称してやり返す。
そのまた報復がきて、またやり返す。
そう、エンドレスな報復合戦。
これはもう、どっちが最初に殴ったかなんて関係なくなる。
たとえるなら、「先にレジに並んでたかどうか」を巡ってスーパーで喧嘩してる2人が、
そのまま店の外で取っ組み合いになってる状態です。
誰かが「先だった」と言っても、今となっては泥仕合に見えるということ。
Xでもこんな声がありました。
「イスラエルもイランも“自衛”って言ってるけど、もう誰が何守ってるのかわからん」
「正義の押し付け合いじゃなくて、そろそろ引けよ…って思う」
まさにその通り。
でも、冷静に考えるとわかります。
これって、どっちか一方だけを責めても終わらないんです。
イランが核開発を続ける限り、イスラエルは攻撃を続ける。
イスラエルがパレスチナに強硬な姿勢をとる限り、イランは敵対する勢力を支援し続ける。
つまり、「お互いに相手が引かない限り、自分も引けない」という状態。
これ、実生活にもありますよね。
友達とケンカして、「謝ったらこっちも謝るよ」と言い合って、
どっちも謝らないまま縁が切れる、みたいな…。
その規模が“国家レベル”になったのが、いまの中東なんです。
しかも今回は、ドローン、ミサイル、核施設が関わる。
人が死ぬ。
街が壊れる。
油の値段も上がり、たとえば2025年6月の攻撃後、原油価格が7%以上急騰しました。
そんな現実のなか、国連やG7など国際社会は「まず落ち着こう」と呼びかけています。
でも、それすらも届かない状況になってきている。
だからこそ、次の問いが出てくるのです。
「じゃあ、私たちの生活にとって、どっちが勝った方がいいの?」
いよいよ、その問いに向き合ってみましょう。