参政党の憲法草案の問題点とは
参政党の憲法草案がどんな内容かをざっくり見てきました。
今回は、その中で「具体的にどこが問題視されているのか?」を取り上げます。
まず注目されているのが、「人権保障」のあり方です。
参政党の憲法草案では、「人権」という言葉が明示されていません。
代わりに「国家」「共同体」「家族」といった、集団を優先する表現が目立ちます。
たとえば、第7条には「家族は社会の基礎」と書かれています。
家族の大切さを訴えているようにも見えますが、Xではこんな声も。
「家族が基本って、じゃあ家庭内暴力や虐待にはどう対応するの?」
「個人の権利より“家”が優先されたら、かえって弱い人が守られなくなるのでは?」
たしかに、現行憲法の第13条には「すべて国民は、個人として尊重される」と明記されています。
これは戦中の“お国のために個人が犠牲になった時代”への反省から生まれた条文です。
しかし、参政党の草案ではこうした個人尊重の文言は登場せず、全体としては「国」や「集団」の利益を優先する方向性が感じられます。
次に問題とされるのが、「天皇の位置づけ」です。
草案の第1条では、天皇を「元首」と明記し、「君民一体の国家」を掲げています。
この表現は、戦前の大日本帝国憲法に通じる要素として、Xでもさまざまな意見が出ています。
「元首って…ほんとに現代の話?」
「これ戦前の体制をまるっと復活させたいってこと?」
一方で、神谷宗幣代表は「国民主権を守るために、国家主権を強調したもの」と反論。
「国民が主権者であることに変わりはない」としています。
ここでポイントになるのが、草案に記された制度設計の“曖昧さ”です。
たとえば、選挙制度や司法制度に関する詳細な規定がほとんど見当たりません。
全体の条文数は33条と、現行憲法の3分の1以下。
憲法学者の清水雅彦教授は「非常に未熟で、権力の歯止めが不十分」と厳しく批判しています。
「憲法って、政府がやりすぎないようにする“ストッパー”でしょ?」
そんな素朴な疑問が、SNSでも多く見られます。
そして、もうひとつ気になるのが「緊急事態条項」に関する記述。
参政党の草案では、災害や外敵による国家非常事態の際に、特別な権限を政府に認める可能性が示唆されていますが、具体的な発動条件や制限の範囲は曖昧です。
これについては、自民党の改憲案でも「濫用されるおそれがある」と批判されてきたポイント。
参政党草案はさらに詳細が不明なため、「国家に白紙委任状を渡すのでは」と懸念する声がXで広がっています。
たとえば、表現の自由や財産権が、緊急事態を理由に制限される可能性がある。
それって、どんな影響を私たちの生活にもたらすのでしょうか?
想像してみてください。
政府が「今は非常時だから」と言えば、SNSの投稿が検閲される。
「国益に反する発言は削除」と言われても、どこが“反する”のかは政府の判断次第。
そんな状況が、現実に起こりうるということです。
もちろん、参政党の支持者たちは「日本が外圧に弱い現状を変えたい」「独立国家として主権を強化すべき」と語っています。
神谷代表も「これは国民を守るための創憲だ」と繰り返しています。
ですが、だからこそ――
その「創憲」が私たちの生活にどう影響するのか、具体的に説明されなければ不安は消えません。
次のパートでは、「なぜ今こんな草案が出てきたのか?」
そして「なぜ一部の人たちは『これはヤバい』と感じているのか?」を掘り下げていきます。
なぜヤバいと言われているのか
「参政党 やばい」で検索すると、Xではたしかに多くの声が上がっています。
この投稿には1.7万のいいねがついています。
そして、こちらには1.6万のいいねが。
では、なぜそこまで“ヤバい”と感じる人が増えているのでしょうか?
ひとつは、SNSや動画サイトでの“異常なほどの露出”。
メディアが取り上げない政党、という触れ込みがかえって拡散力を増し、アルゴリズム上も優位に働いているようです。
その情報量に圧倒されて、「何か変だな…」という違和感を持つ人が出てきています。
さらに、神谷氏のロリコン容認発言もちょっとヤバいですよね。
さらに「メロンパン一個食べて翌日死んだ人は沢山見てます」というポストも発見。
この発言をしたのはこの人みたいです。
ただ、この発言は3年ぐらい前のことみたいですね。
Xにはこんな声があります。
裁判なしで死刑が行えると書かれているとのこと。
そんな憲法草案を読んだのか問いかける投稿には、1万いいねがついています。
国民の多くは難しい話をされても、正直ピンときません。
今の暮らしに直結する不満や不安――まずはそこをどうにかしたい。
多くの人がそう感じているからこそ、「わかりやすくて響く言葉」が心に刺さるのです。
そのメッセージが、自分の代わりに言ってくれている気がする。
だからこそ、つい惹かれてしまう。
結局のところ、「SNSでよく見るし、愛国っぽくていいかな」と思っていた人が、草案の“国家優先”や“人権の薄さ”に気づき、急に不安になっている。
その温度差が、“ヤバい”という言葉に凝縮されているのかもしれません。
そしてその“ざわつき”は、まさに今も広がり続けています。