奔放な発言と型破りなキャラで知られる女流棋士・竹部さゆり。
将棋番組やイベントでは“笑いを取りにいく”場面も多く、視聴者を楽しませる存在でもあります。
しかし、そんな彼女が過去に放ったある一言が、長年にわたって議論の的になっているのをご存じでしょうか。
なかでも、女流棋士・矢内理絵子への「あばずれ」発言は、将棋界に衝撃を与えた出来事のひとつです。
その後もたびたび話題になる“炎上の火種”とは何だったのか。
竹部さゆりという存在がなぜここまで賛否を呼ぶのか。
そして、今なお残る“問題発言”の余波。
今回は、竹部さゆりの過去の問題発言についてまとめました。
竹部さゆりの「あばずれ」発言とは
将棋界きっての“個性派女流棋士”、竹部さゆり。
彼女の数ある発言の中でも、今なお語られ続けているのが「矢内理絵子への『あばずれ』発言」です。
これは2014年6月22日、ニコニコ生放送「将棋ウォーズ玉将戦 最終日」の生中継中に起きた出来事でした。
竹部は電話で出演し、親友でもある矢内理絵子に対して──
「矢内理絵子、あばずれ」
と、たった一言。
スタジオにいた出演者も視聴者も、一瞬でフリーズしたとか。
その空気感、想像に難くありません。
もちろん竹部としては、“親しみを込めた冗談”のつもりだったようです。
プライベートでのノリをそのまま生放送に持ち込んでしまった……という背景がありました。
とはいえ、「あばずれ」という言葉の意味を考えると、冗談では済まされなかったのが現実です。
この言葉、もともとは「人ずれして厚かましい女性」などを指す差別的な表現。
現代では、特に女性に対する蔑称として扱われるケースが多く、公の場で使うには極めて不適切とされています。
視聴者からは即座に反応がありました。
「ブラックジョークにも限度ある」
「将棋界のイメージが一気に崩れた」
「酔ってたのか?」
SNSはプチ炎上。
相手が親友とはいえ、生放送での発言としては許容できないとする声が圧倒的に多く見られました。
一方で、矢内本人はすかさず「将棋で強気なのはいいですけどね」とコメント。
その場をなんとか和ませようとしたようにも見えましたが、内心は複雑だったのでは?と推察する声も。
竹部はこの発言について、明確な謝罪を公の場で行った記録は確認されていません。
その点も、視聴者の反感を買った一因だったのかもしれません。
彼女はもともと、局面に関係のない話を交えながら解説する“竹部節”で知られており、ユーモアのある棋士として親しまれてきました。
ですがこの発言以降は、「ちょっと行き過ぎでは?」という声も増え始め、問題発言が目立つ存在へと印象が変わっていきました。
とはいえ、竹部の持ち味である“型破りさ”を支持するファンがいるのも事実です。
「あれも個性のひとつ」
「言葉のチョイスは悪かったけど、本人に悪気はなかったと思う」
そんな意見もSNSではちらほら見かけます。
ですが、やはり公の場での発言には責任が伴うもの。
とくに将棋界のような格式と礼儀が重んじられる世界では、ちょっとした言葉のミスが致命傷になりかねません。
結果としてこの「あばずれ」発言は、ネット上で長く語られる失言のひとつとなってしまいました。
竹部さゆりにとっても、将棋界全体にとっても、言葉の重みを考えさせられる一件だったことは間違いありません。
竹部さゆりの問題発言まとめ
実は竹部さゆりの“やらかし”は、あの「あばずれ」発言だけではありません。
むしろ、それ以外にも数々の“問題発言”があることで知られています。
たとえば、2025年8月に開催された将棋日本シリーズ・JTプロ公式戦。
この対局で、竹部は聞き手として出演していました。
その最中、突然こんな発言が飛び出します。
「去年この地で指していたときは、山崎九段が元妻さんと別れていないときだったんですよ」
まさかのプライベート暴露。
これは山崎隆之九段の離婚に関する未公開情報であり、明らかに配慮を欠いた内容でした。
横にいた解説者・中村九段は、困ったように苦笑いでその場を受け流す形に。
もちろん視聴者の反応は激しく、SNSでは批判の声が相次ぎました。
「本人の口からじゃない情報を、聞き手が喋っちゃダメ」
「配慮ゼロ、これプロの仕事?」
「空気が凍った…」
その後、山崎九段は対局で失着を重ね、逆転負けを喫しました。
当然ながら、これが発言の影響かどうかは不明です。
しかし、「メンタルに響いたのでは?」と感じた視聴者がいたのも事実です。
竹部はこの件について謝罪を表明。
公務を1年間自粛することを発表しましたが、「反省しているように見えない」との声も根強く残っています。
さらに問題視されたのが、子ども向け将棋教室での言動です。
大会前日の練習で、生徒が竹部に指導を申し込んだところ、竹部は盤上にすべての駒を並べたうえで、
「おら、指せよ」
と発言。
冗談のつもりだったのかもしれません。
けれど相手は将棋を学びに来ている子どもです。
保護者や視聴者からは、「さすがに威圧的では?」「教育者の態度としてどうなのか」と批判の声が上がりました。
「子どもに怖い印象を与えてはいけない」
「プロ棋士としての威厳と優しさ、両方ほしい」
という声もX上では多く見られました。
さらにSNS上での発言も炎上の種に。
矢内理絵子が「眠い」とポストした際、竹部がリプライしたのが
「永眠して下さい」
という一言。
これも“毒舌キャラ”の一環かもしれませんが、ブラックジョークが行き過ぎていると感じた人は少なくありません。
また、若手女流棋士・竹俣紅とのイベントで、色紙に「殺」と書いた竹部に対して、竹俣が「菌」と書き「殺菌」という言葉を作り上げた、というエピソードも話題になりました。
これに関しても、SNSでは
「もう少し柔らかいユーモアにしてほしい」
「品位が求められる立場では?」
といった声が寄せられました。
彼女の発言を巡っては、常に賛否が付きまといます。
「天然というより無神経」と批判する声や、「もう聞き手としては厳しい」との意見も。
一方で、
「あの自由さが将棋界に必要」
「言葉は強いけど、ユーモアがある」
と擁護する声も根強いのが現実です。
まさに将棋界の“異色キャラ”。
ただし、軽快なトークと失言のラインは紙一重。
本人の意図とは別に、受け取る側がどう感じるかが問われる時代です。
公共の場に立つ人間として、どこまでが“個性”で、どこからが“問題行動”なのか。
その線引きが問われているのかもしれません。
反省の色なし?
ここまで、竹部さゆりの発言をめぐる数々の騒動を見てきました。
が、やっぱり一番気になるのは「本人、ちゃんと反省してるの?」という点ですよね。
2025年のJT杯で離婚に関する私的情報を発言した問題のあと、竹部は1年間の公務自粛を発表しました。
公式な謝罪もありましたし、対応としては一定の誠意が見えたように思えます。
その一方で、ネットではすぐさま過去の問題エピソードが再び話題に。
「あのときも謝ってなかったよね?」
「あばずれ発言とか、むしろネタにしてなかった?」
といった声がX(旧Twitter)上でも散見され、「反省が足りない」との批判がじわじわと広がっていきました。
中には、
「謝罪が形式的に見える」
「本心での反省が感じられない」
とする意見もあり、「信用できない」と感じた人も多かった様子です。
もちろん、支持派の声もあります。
「あの自由奔放さが竹部らしさ」
「空気は読めないけど、あれで将棋番組に色がついてるのは事実」
それは確かに一理あるかもしれません。
でもやっぱり、公共の場で何度も失言を繰り返すと、“キャラ”では済まされなくなってくるんですよね。
とくに、竹部のように女流棋士としてメディアに出たり、子ども向けの将棋教室に関わったりしている立場ならなおさら。
一部では、
「もうメディア出演は厳しいのでは?」
という意見も出ており、活動の幅が狭まる可能性も否定できません。
問題の根っこにあるのは、“言葉選びのセンス”と“状況判断の甘さ”。
たとえば、あの2014年の「矢内理絵子、あばずれ」発言。
今の社会では、「あばずれ」という言葉は侮蔑的な意味合いが強く、使用する際には特に慎重な配慮が求められます。
冗談でも、ましてや生放送ではNGワードに近いと言っても過言ではない。
「言葉が古すぎて逆に怖い」
「いま令和ですよ?」
なんてコメントもXでは見かけます。
そして問題は、「過去の一件」で終わらなかったこと。
その後も矢継ぎ早に失言や“空気を読まない行動”が重なり、「竹部=炎上」「竹部=問題発言」のイメージが出来上がってしまったんです。
中には、
「指導者としての言動に問題がある」
「子どもに夢を与える立場として再考してほしい」
といった、将棋界全体の信頼に関わるとする声も出ています。
ただし、竹部が持っている“唯一無二の存在感”や“語り口”が好きだというファンも少なくありません。
つまり、彼女にはチャンスがある。
本当に反省し、発言や態度に変化を見せれば、きっと再評価される可能性はあるはずです。
そして、もう一つ大事なのは、本人だけでなく「将棋界全体の在り方」も問われているということ。
教育・広報・メディア対応――
プロ棋士にとって、盤上の強さだけでなく、発言の責任も求められる時代になったのです。
あの「あばずれ」発言から約11年が経ちました。
竹部さゆりという名前が、これから先も「炎上」「問題発言」と並べて語られてしまうのか。
それとも、違う形で記憶に残る棋士になれるのか。
いま、その分岐点に立たされているのかもしれません。