永末哲也に懲役24年は軽すぎる!北九州空手塾事件に怒りが殺到した理由

「たった懲役24年?」

2026年2月26日(木)、福岡地裁小倉支部から届いた判決に、SNSが一気に燃え上がりました。

北九州市の空手塾で、元経営者・永末哲也被告(62)が教え子の女子児童8人に性的暴行を繰り返していた事件。

犯行期間は2018年から2024年までの約7年間、認定された回数は49回、撮影された記録物は500点を超えています。

被害者は全員が13歳未満。

裁判所は「格別に悪質」と断じ、検察は有期刑の上限である懲役30年を求刑しました。

それでも判決は懲役24年。

Xのタイムラインには「軽すぎる」「子供の人生を返せ」「日本の司法は何を守っているのか」という声があふれ、トレンド入りするほどの反響を呼んでいます。

この記事では、なぜこの事件がここまで多くの人の怒りに火をつけたのか、その理由を判決内容やSNSの声とともに掘り下げていきます。

親として、一人の大人として、目を背けたくても読んでおくべき内容だと思っています。

「懲役24年」に日本中が怒った北九州空手塾事件の衝撃

判決が出た瞬間から、Xには怒りの投稿が雪崩のように押し寄せました。

「#永末哲也」「#空手塾性加害」「#懲役24年」といったハッシュタグが一気に広がり、動画付きの投稿の中には数万から数十万ビューを記録したものもあったほどです。

その温度感、ちょっと異常なレベルだったと言っていいでしょう。

 

特に目立ったのが、子育て中の母親たちからの叫びにも近い声でした。

「8人の子供の一生をめちゃくちゃにしておいて、たった24年?」「出てきたとき80代でも再犯のリスクはゼロじゃない」「もう怖くて子供を習い事に出せない」。

こうした投稿が数千件単位で流れ、共感のリポストが止まらない状態に。

普段は育児や日常のことをつぶやいているアカウントが、この件に関しては感情をむき出しにしていたのが印象的でした。

 

一方で、法律に詳しい層からはこんな声も上がっています。

「日本の有期刑の上限は30年。その中で24年というのは実はかなり重い部類に入る」「一審でこの量刑なら控訴審でもほぼ維持されるだろう」と。

たしかに法的な枠組みで見れば、24年は決して「お手柔らかな判決」ではないのかもしれません。

でも、それを聞いて「そうか、じゃあ仕方ないか」と納得できる親がどれだけいるかというと、正直ほとんどいないのが現実でしょう。

法律の理屈と、子供を守りたい人間の感情には、埋めがたい溝があるんですよね。

SNS上ではさらに踏み込んだ議論も飛び交っていました。

「欧米なら終身刑でもおかしくないケース」「化学的去勢を導入すべき」「性犯罪者の情報を公開する制度が必要」。

こうした声が何万もの「いいね」を集めていた事実は、この事件への怒りが単なる一過性の感情ではなく、日本の司法制度そのものへの不信にまでつながっていることを示しているように思えます。

永末哲也とは何者だったのか

ここで改めて、加害者である永末哲也被告がどんな人物だったのかを整理しておきます。

というのも、この事件が持つ本当の恐ろしさは、「いかにも怪しい人物」ではなく「誰もが信頼していた指導者」による犯行だったという点にあるからです。

 

永末被告は北九州市小倉南区で長年にわたって空手塾を運営し、子供たちへの指導を続けてきました。

道場の経営者であり、日々の稽古の指導者であり、昇級試験の審査官でもあるという三つの顔を一人で持っていた人物です。

保護者の間では「練習中は厳しいけれど、稽古の外では子供一人ひとりに優しく接してくれる先生」として通っていたといいます。

地域に根ざした存在で、いわば「頼れる町の先生」。

まさか裏でそんなことをしていたなんて、周囲の誰一人として想像もしていなかったはずです。

 

でも、法廷で明らかになった被告の素顔は、その信頼をすべて裏切るものでした。

被告は自ら「私は先生であり指導員であるということを、彼女が認識して逆らえないと思った」と供述しています。

これはつまり、自分の立場が子供を支配できる構造にあることを100%わかったうえで、意図的に利用していたということ。

衝動的に犯してしまったという話では一切なく、計算ずくの犯行だったわけです。

 

検察が論告で「鬼畜にも劣る浅ましい蛮行」「卑劣さ、反社会性、残忍で冷酷な態様は比類なき悪質さ」と形容したのも、こうした計画性と支配欲の深さを踏まえてのこと。

弁護側は「贖罪の意思がある」として懲役15年が妥当だと主張しましたが、裁判所は検察寄りの厳しい判断を下しました。

ただし、被告が公判で起訴内容をほぼ全面的に認め、謝罪の言葉を口にしたからといって、それで情状が汲まれるべきかどうか。

7年間、8人の子供相手に49回も犯行を繰り返した人間の「反省」を、額面通りに受け取れる人はそう多くないのではないでしょうか。

北九州空手塾の裁判で暴かれた「7年間の支配」の中身

では、永末被告は具体的にどのようにして子供たちを沈黙させ、犯行を7年間も隠し通したのか。

裁判で認定された事実をもとに、その支配の全体像を見ていきます。

三芳純平裁判長は判決理由の中で「手口は狡猾かつ卑劣」と何度も繰り返しており、その言葉が大げさでないことが、細部を知れば知るほど痛感させられます。

子供の夢を人質にした卑劣な構図

空手を習っている子供にとって、昇級や大会出場は夢の中心にあるものです。

「黒帯を取りたい」「試合で勝ちたい」という目標に向かって、毎日の稽古を一生懸命こなしている。

その夢のすべてを、永末被告はたった一人で握っていました。

 

道場主であり、指導者であり、昇級試験の審査官でもある。

子供たちの頭の中には「この先生に逆らったら、全部がパーになる」という恐怖が常にあったと考えられます。

昇級できない、大会に出してもらえない、稽古に参加させてもらえなくなるかもしれない。

子供にとって、それは世界の終わりにも等しいことだったはずです。

 

さらに空手道場には、「先生の言葉は絶対」「礼儀と規律が何より大事」という文化が根づいています。

この文化自体は本来なら素晴らしいものですが、悪意を持った指導者の手にかかると、子供の口を封じるための最強の鎖に変わってしまう。

「先生に従うのが正しいこと」と教え込まれた子供たちに、「先生がおかしい」と声を上げる術はなかったのです。

 

検察は「指導と称してわいせつ行為が可能と考えていた」「幼い被害者らの未成熟な心理に徹底的につけこんでいた」と指摘しています。

つまり被告は、行為を「特別な指導」「先生だから教えてあげること」と子供たちに刷り込み、おかしいことをおかしいと思えないように仕向けていた可能性が非常に高い。

犯罪心理学ではこれを「グルーミング」と呼びますが、要するに「信頼を利用して相手の判断力を奪う」という、最もたちの悪い手口そのものです。

 

500点超の撮影が意味すること

この事件で多くの人が絶句したのが、押収された撮影記録が500点を超えていたという事実でしょう。

しかも複数の機材を使い分けて、常習的に記録していたことが判明しています。

 

500点というのは、仮に7年間で割っても年間70点以上のペース。

月に5〜6回は何かしらを記録していた計算になります。

これが「ふとした出来心」でないことは、数字が雄弁に語っているのではないでしょうか。

 

そしてもっと深刻なのは、この記録物が単なる「コレクション」ではなく、子供たちを黙らせるための脅しの材料として機能していた疑いがあるということ。

「これが誰かに見られたらどうなると思う?」「親にバレたら大変なことになるよ」。

こんな言葉をかけられた子供が、誰かに助けを求めるなんて、到底できるわけがありません。

自分の恥ずかしい姿が記録されているという事実は、大人でさえ身動きが取れなくなる威力を持っています。

それをまだ小学生にもなっていない子供に対して使っていたとすれば、もう「卑劣」という言葉すら足りない。

 

判決でも「犯行発覚を防ぐため、被害者の反応に応じて態様を変えていた」と認定されており、泣きそうになったら態度を軟化させたり、抵抗されたら手口を切り替えたりと、冷静に「バレない方法」を計算し続けていたことがわかっています。

撮影も、その計算の一環だったと見るのが自然でしょう。

記録を握ることで「保険」をかけ、子供たちの逃げ道を完全に塞いでいた。

児童ポルノ禁止法違反としても重大ですが、それ以上に「支配の道具」としての悪質さが際立つ事実です。

 

「妊娠したかも」と泣いた子供の絶望

裁判の中で、おそらく最も多くの人の胸を引き裂いたエピソードがあります。

ある被害児童が、行為の意味をようやく理解した後、保護者の前で「妊娠したかもしれない」と泣き崩れたという事実。

 

この子は、何をされているのかさえわからないまま被害を受け続けていたということです。

それがどういうことなのか理解できたとき、恐怖と混乱で押しつぶされそうになりながら、やっと声を上げた。

その声が「妊娠したかもしれない」だったわけです。

この一言の重さを、私たちはどう受け止めればいいのでしょう。

裁判長は判決理由の中で「被害者らは抵抗できないまま繰り返し尊厳を踏みにじられた」「心身ともに深刻な影響が認められる」と述べています。

「深刻な影響」という言葉の裏には、一人ひとりの子供が抱えた計り知れない苦しみがあるはず。

その苦しみは、加害者が塀の中にいる24年間で消えるようなものではないでしょう。

永末哲也の犯行になぜ7年も気づけなかったのか

ここで誰もがぶつかる疑問が、「なぜ7年も発覚しなかったのか」という点です。

8人もの被害者がいて、犯行は49回。

それだけの規模の犯罪が、なぜ長期間にわたって闇に埋もれ続けたのか。

 

まず大きいのは、被害者が全員13歳未満だったということ。

中には未就学の子供もいたとされ、そもそも何をされているのか理解できていなかった可能性が高い。

理解できないものを「おかしい」とは思えないし、ましてや誰かに「助けて」とも言えない。

加害者はその「わからなさ」こそを最大の武器にしていたのです。

 

そして、空手道場という場所が持つ構造的な閉鎖性も見逃せません。

保護者が稽古の間ずっと見学しているケースはそれほど多くなく、子供を送り届けたらあとはお任せ、というのが普通の流れだったはず。

つまり、大人の目が完全に届かない時間帯が日常的に存在していたわけです。

加えて、道場には「先生と生徒の関係に口を出さない」という暗黙の空気がある。

保護者も「先生にお任せしているから」と遠慮し、内側で何が起きているか確かめる機会を持てなかった。

 

さらに、永末被告が子供たちに使っていたのは、先ほど触れたグルーミングと呼ばれる段階的な心理操作の手法です。

最初から暴力的に支配するのではなく、「優しい先生」として長い時間をかけて信頼関係を築き、少しずつ境界を越えていく。

気づいたときには深く取り込まれ、抜け出すことも声を上げることもできなくなっている。

被告はこのプロセスを7年かけて8人に対して繰り返し実行していたわけで、その執拗さにはもはや言葉を失います。

 

結果として、事件が表に出たのは2024年4月頃、被害者の一人からの相談がきっかけだったと見られています。

7年という長さは、子供が小学校に入学して卒業するまでとほぼ同じ期間。

その間ずっと、子供たちは一人で地獄を抱えていたんです。

「24年は重い」は本当なのか

SNSで最も議論を呼んでいるのが、この量刑の評価です。

世間の大多数は「軽すぎる」と感じている一方で、法律の専門家からは「この枠組みの中ではむしろ重い方」という声も出ている。

ここは少し冷静に、日本の量刑のリアルを見ておく必要がありそうです。

 

まず前提として、日本の刑法における有期懲役刑の上限は30年です。

これは複数の罪を合わせて加重した場合の最大値であり、殺人でも強盗でも性犯罪でも、人を死なせていない場合はこの天井を超えられません。

検察がこの上限いっぱいの30年を求刑したということ自体、「有期刑で出せる最大の厳罰を求めた」ということ。

そこから6年引かれて24年になったわけですが、求刑に対する認容率としては8割で、性犯罪としては異例の高さだと法曹関係者は指摘しています。

ただ、この「制度上は重い」という説明が、被害者やその家族の気持ちに届くかというと、それは別の話でしょう。

24年後、永末被告は86歳。

高齢とはいえ社会に戻ってくる可能性がある。

一方で、被害を受けた子供たちは20代半ば〜30代。

まだ人生の真っただ中にいるときに、自分を苦しめた人間が娑婆に出てくるかもしれないという恐怖。

この非対称さに、SNSで「結局、被害者だけが一生背負うのか」という声が渦巻くのは、至極まっとうな感情だと思います。

 

海外に目を向けると、児童に対する性犯罪で終身刑や30年以上の実刑が言い渡されるケースは珍しくありません。

アメリカの一部の州では、被害者が未成年の場合に終身刑が適用されることもある。

こうした国際比較がSNSで広まるたびに「日本は子供を守る気がないのか」という怒りが再燃するのは、もう毎回のパターンになっていて、根本的な制度改革の議論が必要な段階に来ているのかもしれません。

 

現状の法律では、出所後の性犯罪者に対する監視やGPS装着といった制度も日本にはなく、再犯防止策は極めて脆弱。

「24年で終わり」ではなく、「24年の後どうするのか」まで含めて議論しなければ、被害者の不安は永遠に解消されないでしょう。

北九州空手塾の事件を風化させないために

最後に、この事件から私たちが持ち帰るべきことを整理しておきたいと思います。

SNSの怒りはいつか落ち着きます。

トレンドは入れ替わり、タイムラインは次のニュースで埋まっていく。

でも、被害を受けた8人の子供たちにとっては、終わりのない現実がこれからも続くわけです。

 

判決後、検察・弁護側双方の控訴動向が注目されていますが、それとは別に、被害者支援のあり方についての声も上がり始めています。

子供たちが長期的にケアを受けられる環境の整備、そして同じ被害に遭った子供たちが「話してもいいんだ」と思える社会の空気づくり。

これらは判決の重さとは別次元で、今すぐ動かなければならないことでしょう。

 

また、制度面では「日本版DBS」と呼ばれる犯罪歴照会の仕組みへの期待が高まっています。

子供と接する仕事に就く人の性犯罪歴を事前にチェックできる制度で、イギリスの仕組みを参考にしたもの。

ただし、これだけで防げるわけではありません。

永末被告のように「前科なし」の初犯者には照会しても何も引っかからないからです。

結局のところ、制度は「最後の砦」であって、日常の中で子供の変化に気づける力を持つことが最も確実な防波堤になる。

 

子供が習い事を急に嫌がるようになった、先生の話になると表情が曇る、原因不明の体調不良が増えた。

こうした小さな変化を「たまたまでしょ」で片づけず、「もしかしたら何かあるのかもしれない」と立ち止まれるかどうか。

「うちの子に限って」という思い込みが、結果的に子供の声を封じてしまうこともある。

永末被告に子供を預けていた保護者だって、まさかあの先生がと思っていたはずなんです。

「あなたの体はあなただけのもの」

「イヤだと感じたら誰にでも言っていい」

「先生だって間違うことがある」

こうした言葉を、まだ小さいうちから何度でも伝えておくこと。

それだけで、子供は「これはおかしい」と感じるアンテナを持てるようになります。

何より、「自分が悪いんじゃない」と思えるかどうかは、この事前のインプットがあるかないかで天と地ほど違ってくるはずです。

そしてもうひとつ、習い事の環境そのものへの目配りも忘れたくないところ。

指導者が一人きりで子供と過ごす時間が長い教室は、残念ながら構造的にリスクを抱えています。

複数のスタッフがいるかどうか、保護者がいつでも様子を見に行ける空気があるかどうか。

こういったポイントを意識するだけでも、危険度はかなり違ってくるはずです。

それにしても、日本の性犯罪者への量刑は甘いと思うのは私だけでしょうか。

漫画家・山本章一のウ◯コ強要が鬼畜すぎる…逮捕なしで処分が甘くないか?2026年2月20日、札幌地裁である判決が下されました。 北海道の私立高校で美術講師を務めていた50代の男性が、当時15歳だった教え子...
konami

This website uses cookies.