「嘘でしょう…?」
最終話が更新されたあの日、深夜0時。
スマホを握りしめたまま、言葉を失ったのは私だけではないはずです。
小学館の漫画アプリ「サンデーうぇぶり」で看板作品として連載され、その繊細で可愛らしい絵柄と、胃が痛くなるようなドロドロした人間関係(通称:修羅場)のギャップで絶大な人気を博した漫画『アイツノカノジョ』。
多くのファンが固唾を飲んで見守った最終回でしたが、そこで描かれたのは、私たちの想像を遥かに超える、あまりに衝撃的、いえ、残酷すぎる結末でした。
アプリのコメント欄は瞬く間に阿鼻叫喚の地獄絵図と化し、SNSでは「#アイツノカノジョ」のタグと共に怒号が飛び交う事態に。
なぜ、ここまで荒れてしまったのか? そして、ラストに残された多くの謎は何を意味するのか?
今回は、数年間の連載を追いかけてきたファンの「愛」と「絶望」を背負い、肉丸先生が描いたこの賛否両論まみれの最終回について徹底解剖します。
まずは、なぜこの作品がここまで「炎上」しなければならなかったのか、その構造的な欠陥と読者心理を深掘りしていきます。
目次
本格的な考察に入る前に、本作の立ち位置と、議論の的となっている最終回の状況を整理しておきましょう。
未読の方、あるいはショックで記憶が飛んでしまった方のために、事実関係を確認します。
| 項目 | 内容 |
| 作品名 | アイツノカノジョ |
| 作者 | 肉丸(にくまる) |
| 掲載媒体 | サンデーうぇぶり(小学館) |
| ジャンル | ラブコメ、サスペンス、泥沼恋愛、青春群像劇 |
| 特徴 | 圧倒的な画力で描かれる美少女たちと、倫理観を揺さぶるドロドロ展開のギャップ |
| 最終回の状況 | 読者の予想(ハッピーエンドor明確なバッドエンド)を裏切る展開により、コメント欄が機能不全に陥るほどの炎上状態に。 |
【最終回のあらすじ:ネタバレ注意】
物語は、主人公・リク、タクト、そしてヒロインたちの複雑に絡み合った関係性に明確な決着がつかないまま進行します。
クライマックス、読者が「誰と結ばれるのか」を期待したその瞬間、あろうことか主要人物であるタクトが「全てを捨てて姿を消す(失踪する)」という展開を迎えます。
数年後、残されたメンバーたちの「その後」の日常が淡々と描かれますが、そこにタクトの姿はありません。
そしてラストシーン。
タクトがかつていた部屋、あるいは彼を象徴する空間で、携帯電話が鳴り響きます。
画面に表示されたのは「非通知」の文字。
誰が出るわけでもなく、ただ無機質に着信音が鳴り響く不穏なカットで、物語は唐突に幕を閉じました。
最終回更新直後、「サンデーうぇぶり」のコメント欄やX(旧Twitter)は、読者の悲鳴、怒り、そして困惑で埋め尽くされました。
「賛否両論」という言葉では生ぬるい、ファンの魂の叫びをカテゴリー別に紹介します。
最も多かったのが、物語の決着に対する怒りです。
ラブコメを読んでいたはずが、最後にホラーを見せられたという反応も多数ありました。
一方で、この突き放した結末を評価する声も少なからず存在します。
では、なぜここまで荒れてしまったのでしょうか?
単に「推しが結ばれなかったから」という単純な理由ではありません。
作者と物語が、ファンが捧げてきた時間と熱量を「3つの裏切り」で踏みにじったように感じられたからです。
最大の炎上要因は、主人公格であるタクトの行動です。
青春群像劇やラブコメにおいて、主人公(あるいはそれに準ずる重要人物)の役割は、物語を通じて「成長」し、問題に「決着」をつけることです。
たとえそれが悲しい結末であっても、逃げずに答えを出す姿に読者は心を動かされます。
しかし、最終回のタクトが選んだのは「失踪」、つまり「問題からの逃避」でした。
これまで「どんなに辛くても向き合う」「自分が傷ついてでも守る」という姿勢を見せてきたタクトが、最後になって全てを投げ出し、読者の前から姿を消したのです。
これは、これまで読者が応援してきた「タクトの成長物語」を、作者自らが「無駄だった」と否定するに等しい行為です。
「こんなのキャラ崩壊だ」「私の知っているタクトじゃない」という指摘は、ファンのわがままではなく、物語の構造に対する正当な批判と言えるでしょう。
次に、作品全体のテーマの変質です。
『アイツノカノジョ』はドロドロとした展開の中にも、「複雑な関係の中でも、愛は全てを乗り越える」「想いがあれば繋がれる」という一縷の希望(光)を描いていたはずでした。
読者はその光を信じて、胃が痛くなる展開にも耐えてきました。
ですが、肉丸先生が最終回で突きつけた現実は「愛は無力であり、現実は非情である」という冷え切ったメッセージでした。
「どれだけ愛し合っても、タイミングや環境が違えばすれ違う」
「関係は壊れたら元には戻らない」
そんなリアリズムを、夢を見る場所であるはずの「漫画」の最終回で突きつけられたのです。
ハッピーエンドを信じていたファンにとって、この急ハンドルはあまりに不誠実な「裏切り」と映りました。
そして、技術的な不満点として「伏線の放置」が挙げられます。
物語中盤で意味深に描かれた「あの日の約束」や「キーアイテム」、あるいはキャラクターたちの細かな心理描写の行方。
それらの多くが、明確な説明がないまま「完」の文字と共に葬り去られました。
読者は「考察の余地がある」ことと「説明不足(投げっぱなし)」の違いに敏感です。
今回のケースは、多くの読者にとって後者、つまり「広げた風呂敷を畳むのを放棄した」と受け取られてしまったのです。
すべてを捨てて姿を消したタクト。
数年後の彼の不在を告げる部屋に、無機質に鳴り響く「非通知設定」の着信音。
電話に出る者は誰もいません。
ただ鳴り続けるその音は、まるで物語が終わることを拒絶しているかのようでした。
この発信者については、「タクトの家族説」「新しい女説」など様々な憶測がありますが、文脈と演出を読み解けば、答えはほぼ一つに絞られます。
それは、ヒロインの一人である「雫」です。
そして、これは単なる「未練」の電話ではありません。
もっと重く、粘着質で、逃れることのできない「呪い」の儀式なのです。
なぜ「非通知」が雫だと断定できるのでしょうか。
それは、彼女の性格設定と行動原理を紐解けば自ずと見えてきます。
『アイツノカノジョ』という作品を通じて、雫は常に「言葉足らず」で「内向的」なヒロインとして描かれてきました。
感情をストレートにぶつける他のキャラクターとは対照的に、彼女は想いを飲み込み、沈黙の中で葛藤し続けてきたのです。
もし他のヒロイン(例えばリクの元カノなど)であれば、名前を表示して堂々と着信を残すでしょう。
あるいはLINEやメッセージで感情をぶつけるはずです。
しかし、雫は違います。
自分の存在を明確には明かしたくない。
けれど、相手(タクト)と繋がりたい。
あるいは、相手の平穏を脅かしたい――。
そんな矛盾したドロドロの感情を体現する手段として、「非通知」ほど彼女に似合うものはありません。
あの着信は、言葉を持たない彼女が放った、人生最大の「叫び」だったのではないでしょうか。
漫画的な演出技法(コマ割り)の観点からも、雫説は濃厚です。
最終話のクライマックス、タクトのいない部屋で携帯が震えるコマ。
その直後、あるいはオーバーラップするように描かれたのは、他の誰でもない、一人佇む雫の姿でした。
漫画において、無関係の描写をこれほど意味深に連続させることはあり得ません。
肉丸先生は言葉で説明する代わりに、視覚情報として「発信者は雫である」という答えを読者に提示しているのです。
それは、「考察してくれ」という甘いメッセージではなく、「気づいた人だけが絶望すればいい」という作者からの挑戦状だったのかもしれません。
この「雫=発信者説」を採用した瞬間、物語のジャンルは「ラブコメ」から「サイコサスペンス」へと変貌します。
タクトは、複雑に絡み合った人間関係の重圧に耐えきれず、「逃げる(失踪)」という選択をしました。
これはある種、彼なりの物語の強制終了であり、リセットです。
しかし、ラストの着信はその終了を許しません。
直前のシーンで描かれた、雫の表情を思い出してください。
肉丸先生の繊細かつ圧倒的な画力で描かれたその顔は、涙を流しながらも、瞳にはある種の「決意」のような、冷たく濁った光が宿っていました。
あのタイミングでの着信は、逃亡したタクトに対し、こう告げているように思えてなりません。
「あなたがどこへ行こうとも、私は見ている」
「一生、私を捨てた罪悪感を背負って生きろ」
電話に出なければ、「今もどこかで見ているかもしれない」という恐怖が続く。
電話に出れば、地獄が再開する。
どちらに転んでも、タクトに安息はありません。
これは愛の告白などという生ぬるいものではなく、「一生解けない呪縛(復讐)」なのです。
ハッピーエンドを期待した読者にとって、この結末は「バッドエンド」以外の何物でもないでしょう。
しかし、一度冷静になって考えてみたいと思います。
なぜ作者である肉丸先生は、「サンデーうぇぶり」という多くの読者が集まる場所で、これほどまでに読者を傷つける結末を選んだのでしょうか?
おそらく先生が描きたかったのは、商業的な「愛の成就」ではなく、「ディスコミュニケーションの成れの果て」というリアルな痛みなのではないでしょうか。
現代社会において、人間関係はあまりに脆いものです。
スマホ一つで繋がれる時代だからこそ、着信拒否やブロック、そして「非通知」といった手段で、関係性は容易に断絶し、また歪な形で継続してしまいます。
「愛さえあれば分かり合える」というのは幻想であり、現実はすれ違ったまま傷つけ合うことの方が多い――。
タクトの逃亡と雫の執着は、そんな救いのない現実をグロテスクなまでに鮮明に切り取ってみせました。
もし、タクトと誰かが結ばれて大団円で終わっていたらどうでしょうか?
読者は「よかったね」と安堵し、数日後には「ああ、そんないい漫画もあったね」と記憶の棚にしまっていたかもしれません。
しかし、この「最悪の結末」はどうでしょう。
私たちは怒り、嘆き、そしてこうして「あの非通知は誰だ?」「怖すぎる」と語り合っています。
連載が終わってもなお、タクトと雫の亡霊は、私たちの頭の中に住み着いているのです。
肉丸先生の狙いが「読者の記憶に一生消えないトラウマ(爪痕)を残すこと」だったとしたら、この大炎上さえも計算通りなのかもしれません。
『アイツノカノジョ』は、甘いラブコメの皮を被った、読者への「復讐劇」だったのです。
『アイツノカノジョ』最終回。
それは決して、読者が望んだ「幸せな結末」ではありませんでした。
しかし、予定調和を破壊し、読者の心に強烈な楔(くさび)を打ち込んだという意味では、これ以上ないほど「肉丸先生らしい」幕引きだったと言えるでしょう。
ラストシーンの非通知着信。
それは雫からタクトへの執着であると同時に、作者から我々読者への「この痛みを忘れるな」というメッセージだったのかもしれません。
もし、あなたのスマホに非通知の着信があったら……。
その時は、この物語の結末を思い出してください。
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