「政党交付金は半額にする」
2024年の衆院選で、日本保守党が掲げたこの公約は、大きな注目を集めました。
けれども選挙後、政党要件を満たした日本保守党は、制度上の選択肢である「満額か拒否か」の中で、一定額を満額受領しました。
「公約違反では?」という声が広がった背景には、説明不足や情報のギャップがありました。
「弱小政党は資金がなければ戦えない」と、党幹部が説明する場面も見られます。
しかし、私たちの税金から拠出された予算が政党に渡るという制度において、公約とのずれはどう受け止めるべきなのでしょうか。
この記事では、日本保守党の政党交付金受領をめぐる状況を軸に、政党交付金の仕組みと公約とのギャップについてわかりやすく解説します。
静かに広がる「信頼の揺らぎ」の正体を、私たちは見逃してはいけません。
目次
引用 : 毎日新聞
「政党交付金は半額に引き下げる」
これは日本保守党が2024年の衆院選で掲げた公約の一つです。
他にも「議員報酬を国民並みに」など、政治とカネに切り込む姿勢を示していました。
これに共感し、既存政党に失望していた多くの有権者が、投票というかたちで期待を託したのです。
しかしその後、日本保守党は政党交付金の支給要件を満たし、一定額を満額で受領しました。
「え?満額受け取ってるの?」と驚いた人も多かったはずです。
たとえるなら、こういうことです。
「この定食、カロリー半分にします」と言って客を集めたお店が、普通のカロリーの定食を出してきた──しかも、説明はない。
SNS上では「これは公約違反では?」との指摘が相次ぎました。
たとえば、元日本保守党の候補者で国際政治学者の飯山陽氏は、「これは公約と明確に矛盾している」と批判。
公約とは“約束”であり、選挙後の行動で反故にするなら、それは有権者に対する裏切りだと指摘しています。
一方で、党側からは「少数野党の立場では、制度に従わざるをえない」との説明も出ています。
代表の百田尚樹氏や有本香事務総長は「これは法改正を前提とした公約であり、今すぐ実現できるものではない」と説明しています。
つまり、「政権を取った後に法を変えることを目指す」という、長期的なビジョンだったわけです。
ただし、それならば最初から「将来的に目指す」と説明しておけば、ここまでの違和感は生まれなかったはずです。
もし公約を履行できないなら、その理由を丁寧に伝えるべきではないでしょうか。
小さなほころびが、やがて信頼の崩壊につながる。
そんな教訓を、私たちはこれまでの政治からすでに学んでいるはずです。
政党交付金とは、国民の税金を財源として政党に配られる公的なお金です。
1994年に導入されたこの制度の目的は、「企業や団体からの献金に頼らず、政治をクリーンにすること」。
いわば「税金で政治資金を賄う」仕組みなのです。
制度の基本はこうです。
たとえば、自民党は2023年に約150億円を受け取っており、党の総収入の約6割を占めていました。
そして重要なポイントが一つ。
この交付金、現行制度では「満額受け取る」か「全額拒否する」かのどちらかしか選べません。
つまり、「半分だけ受け取る」ことはできないのです。
日本保守党も、2024年の衆院選で政党要件を満たし、一定額を満額受領しました。
しかし、これは公約で「交付金は半額に削減する」と訴えていたことと、矛盾して見えます。
当然ながら、X(旧Twitter)などネット上では「これは公約違反では?」という声が噴出。
特に制度についての説明が不十分だったことが、不信感をさらに広げたのです。
党側は「制度上、満額しか受け取れない。将来的に法改正を目指すものだ」と説明しています。
しかし、この“ズレ”を事前にしっかり説明していれば──ここまで批判されることはなかったかもしれません。
また、この制度には別の問題もあります。
交付金は「議席数」と「得票数」に比例するため、大政党ほど多くのお金を受け取り、小さな政党はごくわずか。
これは、たとえるなら「すでに大きい会社にだけ補助金がたくさん出る」ようなもの。
結局、お金がある政党が選挙でも有利になるという、格差の再生産が起きているのです。
さらに、政党交付金の使い道は原則公開されますが、国民がそれを把握するのは簡単ではありません。
「クリーンな政治」のはずが、使途の説明は曖昧。
そして多くの政党が制度の恩恵を受けているため、制度自体を根本から見直す動きもなかなか進みません。
現在、この制度を受け取っていないのは共産党のみ。
共産党は「税金で政党を支えること自体に反対」という立場を貫いており、財源は機関紙や寄付でまかなっています。
政党交付金──それは、「必要な制度」なのか、「見直すべき仕組み」なのか。
その答えは、これからの政治と私たち国民の意識にかかっているのかもしれません。
「政党交付金は半額にする」
そう訴えて選挙を戦った日本保守党が、選挙後にその交付金を“満額”で受け取ったことは、ネット上で大きな議論を呼びました。
「これは公約違反では?」という批判の一方で、いくつかの擁護意見も存在しています。
まず最も多く聞かれたのが、「選挙にはお金がかかる」という現実です。
少数政党は、選挙資金や広報活動のための費用を十分に確保できません。
交付金を拒否した場合、活動そのものが制限され、勢力を拡大することが極めて難しくなります。
代表の百田尚樹氏も「今の小さな勢力では、政党交付金を半分にすると決めたとしても戦えない」とX(旧Twitter)や記者会見などで発言しています。
また、共同代表の河村たかし氏も「減税日本で交付金を拒否したが、資金不足で勢力拡大できなかった」と語っており、この経験が今回の判断に影響を与えたと考えられます。
こうした現実をふまえ、交付金の受領は「戦略的な判断」とも言えます。
交付金を使ってまず議席を増やし、影響力を高めたうえで、将来的に制度そのものを変える
こういう“段階的な公約実現”を狙っているという主張です。
比喩するなら、自転車の補助輪のようなもの。
最初は補助輪(資金)が必要だが、力をつけたら外す(削減する)つもりだ、というわけです。
しかし、こうした擁護があったとしても
「なぜその方針をもっと早く、丁寧に説明しなかったのか?」という疑問は残ります。
現行法では、交付金は「満額受領」か「全額拒否」しか選べず、一部だけ受け取ることはできません。
この制度上の制約をふまえていたなら、なおさら「法改正が必要なので現時点では受領する」と、事前に明示しておくべきだったのです。
また、日本保守党は「政治とカネにメスを入れる」「既存の政治を変える」として強い期待を集めた新興政党でした。
それだけに、受け取るだけ受け取って説明がない、という現実は、有権者にとって「やっぱり他と変わらないじゃないか」という失望を呼んでしまったのです。
理想を掲げることと、現実に対応すること。
そのあいだにある「説明責任」こそが、今の政治にもっとも欠けているものなのかもしれません。
日本共産党は、1994年に政党交付金が導入されて以来、ただの一度もこれを受け取っていません。
これは決して忘れていたとか、制度を知らなかったからではありません。
明確な“意思”として、ずっと受け取りを拒否してきたのです。
その理由は、次の3つに集約されます。
共産党は「政党が国の税金に頼るのはおかしい」という立場です。
政党というのは本来、国民の自発的な支援(党費や寄付、機関紙の購読など)で成り立つべきだと考えており、制度として支給されるお金には依存しないと決めているのです。
国からお金をもらうことで、政党の“独立性”が損なわれ、国家からの影響を受けやすくなる──というのがその主張です。
共産党の資金源は、企業献金や政党交付金ではなく、主に以下の3つ。
2023年の収支報告書では、総収入は約228億円。
このうち、「赤旗」からの収入が約47%、「党費」が約21%を占めていました。
つまり、彼らは「自分たちの弁当は自分たちで作る」というスタンスを貫いているのです。
制度に反対しながら、その制度から利益を得る──それは「矛盾している」と共産党は考えます。
志位和夫委員長は「税金に頼らず、自力で政治を行うことが国民への責任」と述べており、その理念にブレがありません。
実際、どれだけ制度が不利に働いても「公約に反することはしない」という姿勢を維持しています。
たとえば、河村たかし氏や百田尚樹氏が率いる日本保守党は、「政党交付金は半額に」と公約していましたが、2024年の衆院選後には満額を受け取っています。
これについては「制度上、減額受領ができない」「少数野党には資金が必要」といった説明があります。
たしかにそれも現実的な理由です。
しかし共産党は、「制度に反対するなら、受け取らない」という一貫した姿勢を30年近く貫いてきました。
結果として、資金面では大きく不利。
たとえば2024年の衆院選では、自民党の約10分の1の宣伝費しか使えなかったと言われています。
共産党の姿勢を必ずしも支持する必要はありません。
けれど、「筋を通す」という行動は、政治家としての信頼につながるものです。
一方で、日本保守党のように現実的な制約をふまえて受け取る選択をする政党もある。
つまり──
どちらが“正しい”というよりも、それぞれが「何を優先するのか」が問われているのです。
政治に必要なのは、信頼か、現実か。
その問いは、いつか私たち自身にも返ってくるのかもしれません。
私たちは日々、気づかないうちに政治にお金を払っています。
たとえば、給料から引かれている所得税。
コンビニやスーパーで、何気なく支払っている消費税。
これらを含む国の予算の一部が、「政党交付金」として政党に支給されているのです。
その金額は、年間でおよそ320億円。
国民1人あたり約250円
たったそれだけ、と思うかもしれません。
けれどそれは、「塵も積もれば山となる」の典型です。
たとえばあなたがスーパーで、1,000円の弁当セットを買ったとします。
でも、ふたを開けたら半分しか入っていなかった。
それでも「これは制度です」と言われたら、どう感じるでしょうか?
政党交付金の仕組みは、まさにこれと似ています。
私たちは意識しないまま「税金という代金」を払い、中身がどう使われたのかも知らされない。
その「中身の説明」が不十分だと、不信感はじわじわと広がります。
日本保守党が掲げた「政党交付金は半額にする」という公約。
その一方で、2024年の衆院選後に一定額を満額受領したことが話題になりました。
制度上、交付金は「満額受け取るか、全額拒否するか」の2択しかなく、半額だけ受け取ることはできません。
党側も「法改正を前提としている」と説明しています。
けれど、この制度の仕組みや現実的な制約について、選挙前にどれほどの人が知っていたでしょうか。
仮に「現実を優先した判断」だったとしても、そのギャップを丁寧に説明しなければ、「公約違反」と感じる人が出てきてしまうのです。
もし、今の時代に「政治のお金はよくわからないけど仕方ない」と多くの人が思ってしまえば、それが次の世代にも引き継がれていきます。
政治資金の透明性は、いま、私たちの関心によって決まるとも言えます。
次第に税金の使い道への関心が薄れていく。
それは、民主主義の土台が静かに崩れていくことかもしれません。
政党交付金は、政治活動に必要な資金です。
けれど、原資が「税金」である以上、政党側には説明責任があります。
そして私たち国民にも、「税金の使い道に関心を持つ責任」があるはずです。
たとえ1人250円でも、それが1億人分集まると、そこには、民主主義そのものを支える力があるのです。
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