宮崎駿監督の最新作『君たちはどう生きるか』。
一見ファンタジックで不思議な世界観ながら、
「結局何が言いたいの?」
と戸惑った方も多いのではないでしょうか。
この作品には、戦争や喪失といった重いテーマから、創作の継承や自分自身の生き方への問いかけまで、さまざまな要素が静かに、しかし深く織り込まれています。
この記事では、映画の核心的なメッセージをわかりやすく紐解きつつ、その裏に込められた宮崎駿監督の思いや、視聴者一人ひとりに向けた問いの意味を丁寧に考察していきます。
映画のタイトルでもある「君たちはどう生きるか」。
この言葉は主人公の眞人(まひと)に向けられただけでなく、私たち一人ひとりに対しての問いかけでもあります。
生きていれば理不尽なことや喪失、迷いがつきものです。
でも、だからこそ「どう生きるか」を自分自身で決めることに意味がある。
映画の終盤、眞人は“大叔父”から、理想の塔の世界を引き継いでほしいと頼まれます。
しかし彼はそれを拒み、あえて不完全な現実の世界に戻るという選択をします。
この選択は、誰かが整えた完璧な世界よりも、困難でも自分の足で立つ現実を生きる覚悟の象徴です。
物語の中で描かれる“塔”の世界は、美しく秩序立っているように見えます。
でもそれは他者(大叔父)が創り上げた世界です。
眞人はその世界に疑問を持ち、自分自身の手で未来を築きたいと望みます。
実際、映画の最後で積み木が登場する場面は、
「これから自分で未来を築く」
という決意を象徴しています。
人生は誰かに与えられるものではなく、自分自身で材料を選び形を作っていくもの。
この塔の比喩は、まさに“自分の生き方を自分の手で選ぶ”ことの大切さを示しているのです。
この作品には、「大叔父が高畑勲を暗示している」との解釈があります。
塔の世界は、宮崎駿の創作の原点である高畑勲の影響を象徴しているとも読み取れます。
高畑勲といえば、宮崎駿とともに数々の名作を作り上げたスタジオジブリの共同創設者であり、宮崎監督が創作面で多大な影響を受けた人物です。
作中で大叔父が眞人に塔を託そうとする描写は、高畑から“後継”を託された宮崎自身の経験や想いが重ねられているようにも感じられます。
ただし眞人はそれを断ります。
この姿には、
「自分は高畑のようにはなれない」
という自覚と同時に、“自分なりの創作や生き方を貫こう”とする静かな決意がにじみます。
宮崎監督は、高畑勲に深い敬意を抱いてきました。
この作品にはその追悼の意、そして「創作をどう受け継ぐか」に対する悩みと答えが込められているのかもしれません。
この作品を「人から愛されるには、自分から愛せ」というメッセージと受け取る人もいます。
たしかにそれも一つの読み方ですが、映画の中ではそのテーマが前面に出ているわけではありません。
主人公・眞人が受ける愛情は控えめに描かれています。
義母ナツコや家政婦のキリコといった周囲の人物は、眞人に関心や思いやりを持っていますが、はっきりと
「愛される・愛する」
という感情のやりとりが中心にはなっていません。
だからこそ、観る側は少し戸惑うかもしれません。
「愛されるには、愛することが必要だ」
と頭ではわかっていても、現実ではそれがうまくいかない場面もあります。
そうした“うまくいかなさ”や“説明のつかない心の動き”も、この作品は静かにすくい取っているように思えます。
この映画を観た人の多くが「よくわからなかった」と感じるのも無理はありません。
物語は抽象的で、説明されないシーンも多く、結論がはっきりとは示されません。
でも、それは“あえて”そうしているのです。
「君たちはどう生きるか」と問いかけるこの作品は、“あなた自身がどう生きたいのか”を考えるための時間を与える作品だからです。
正解を押しつけるのではなく、考えるきっかけを差し出す。
それがこの作品の真の目的なのです。
そして観る人の年齢や経験によって、まったく違う受け止め方ができる。
そこに、この映画の奥深さと普遍性があります。
『君たちはどう生きるか』って、結局何を伝えたかったのか――。
その答えは、たぶん「完璧じゃない世界を、どうやって自分の力で生き抜いていくか」なんだと思います。
理想の世界に手を伸ばすこともできたはずの眞人。
けれど、彼が選んだのはあえて傷だらけの現実でした。
そこには、「誰かに決められた人生じゃなくて、自分の足で立って生きる」っていう強い意志が見えてきます。
そして物語のカギを握る“大叔父”。
このキャラクター、高畑勲さんを思わせる存在だと感じた人も多いのではないでしょうか。
ジブリを支えたふたりの巨匠の関係性。
その重みや葛藤が、作中にじんわりと滲んでいます。
それって、単なるファンタジーじゃなくて、宮崎駿監督の人生そのものかもしれません。
一方で、愛とか成長とかっていうテーマは、はっきり描かれていないようにも見えます。
眞人を取り巻く人たちは、どこか不器用で、言葉よりも行動で想いを伝えるタイプばかり。
わかりづらさにモヤモヤする人もいるかもしれませんが、その“あえて説明しない”感じが、逆にリアルだったりもするんです。
人生って、そんなに親切じゃない。
でも、だからこそ自分で考えて自分で決めるしかない!
そして最後に投げかけられる、たったひとつの問い。
「君たちは、どう生きるか?」
明確な答えなんて、どこにもないかもしれません。
でもその問いを心に持ち帰って、ふとしたときに考えてみる。
それだけで、この映画と“対話”が始まるんじゃないでしょうか。
あなたなら、どう生きますか?
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