2025年6月、兵庫県警明石署に暴行の疑いで逮捕された16歳の少女が、留置場のノートにこう書き残していました。

「何にもしてないのにこんなんになるんですか」

少女は18日間の身柄拘束のあと不起訴になりましたが、食べることができないまま衰弱し、その年の12月に亡くなりました。

2026年10月21日、母親が国と兵庫県を訴えた裁判が、神戸地裁で始まっています。

遺族が公開した、ベッドで痩せ細った姿の写真に言葉を失った人も多かったはずです。

しかも裁判の始まりに合わせて、県警の幹部からは「家族の対応」を問う言葉まで出ています。

16歳の少女を、ここまで追い詰める必要が本当にあったのか。

逮捕から亡くなるまでに何があったのかを、わかりやすく解説していきたいと思います。


35人いた会場で聴取は1人だけ

まずは、少女が何をしたとされたのか。

報道で「るなさん」という仮名で呼ばれているこの少女は、中学を卒業したあと、母親が運営する知的障害のある人のための福祉施設で働いていたそうです。

テレビの取材に応じた利用者や職員は、明るくて優しく、仕事に熱心な子だったと話しています。

 

舞台は、2025年2月15日にるなさんが中心になって企画した、バレンタインのチョコ作りのイベントでした。

重い知的障害のある利用者の女性が自分の指をかみ、隣の人にもかみつこうとしたため、るなさんと男性職員が「あかんよ」と声をかけながら、女性のあごに手を添えて止めたといいます。

そのあとお菓子を渡すと、女性は落ち着いたとのこと。

「それは止めただけでは?」と、思わず声が出てしまう場面ですよね。

ところが4月になって、同じイベントに参加していた別の利用者が、自治体の窓口に「虐待ではないか」と相談しました。

それを知った女性の家族が明石署に被害を申し出て、6月17日、るなさんはその男性職員とともに、暴行の疑いで逮捕されています。

引っかかるのは、逮捕までの調べ方。

イベントの会場には35人がいましたが、逮捕の前に警察が話を聞いたのは、相談した利用者の1人だけだったと報じられています。

ほかの参加者への聴き取りも、当日の写真を出してもらうこともなかったそうです。

逮捕のあと、母親と弁護士がイベントの写真を持って説明に行っても、捜査の筋書きは変わらなかったといいます。

 

相談した利用者は、るなさんが亡くなったあとの2026年3月、母親に「あごに手を添える程度だった」と打ち明け、「オーバーに言ってしまってすいませんでした」という手紙も届けたそうです。

ネットには「通報した人は罪に問われないのか」という声も。

ただ、その人がしたのは、気になったことを自治体の窓口に相談するところまで。

その話が本当かどうかを確かめるのは、逮捕という強い力を持つ警察の仕事でした。

残りの34人のうち、誰か1人にでも話を聞いていれば、と思わずにはいられません。


裁判官が一度退けた勾留延長の翌日

逮捕のあと、るなさんは家族とも会えなくなりました。

検察が勾留と一緒に「接見禁止」を求め、裁判所がそれを認めたからです。

接見禁止は、弁護士以外の人との面会を止める処分で、母親であっても会うことはできません。

ぴょんた
ぴょんた
お母さんにも会えないまま、何日も帰ってこられないの?
逮捕のあと裁判官が認めると「勾留」になって、まず10日、延長されるとさらに最長10日、警察の留置場で過ごすことになるんだ。
konami
konami

ただし20歳未満は、少年法で「やむを得ない場合」でなければ勾留できないと決められています。

身柄を預かる必要があるときも、少年鑑別所で預かるのが原則ですが、るなさんが入れられたのは警察の留置場でした。

ジャーナリストの江川紹子さんは、この件はその「やむを得ない場合」に当たらず、なぜ勾留したのかの理由も示されていないと指摘しています。

留置場の中で、るなさんは弁護士から差し入れられた「被疑者ノート」に、取り調べの様子を書き続けていました。

取り調べは多いときで1日4回あり、ノートには取調官に言われたという言葉が残っています。

  • 「本当はやったんだろう しょうじきに言え」
  • 「今言ったら楽になるぞ」
  • 「お母さんこまらすな」
  • 「少年院に行きたいんか」

16歳の子が、母親の顔も見られないまま、こう言われ続けていた。

一緒に逮捕された男性職員がもう認めているかのように告げられたこともあったそうです。

実際には、男性職員も一度も容疑を認めていないと伝えられています。

ノートには「なにもしてないのに ショックで食べれない」「ママあいたい」という文字も並んでいました。

 

拘束の流れを、原告側の説明をもとにした報道から並べると、こうなります。

  • 6月17日 逮捕
  • 6月18日 勾留と接見禁止が認められる
  • 6月27日 検察が10日の延長を求め、延長は5日間になる
  • 7月2日 検察が再び延長を求めて裁判官が却下、検察の不服申し立てで5日間の延長が決まる
  • 7月3日 留置場で倒れて病院へ運ばれ、その日のうちに留置場へ戻される
  • 7月4日 処分保留で釈放(7日に不起訴)

この並びの中で、7月2日の動きは見落とせません。

令状を担当する裁判官は、2回目の延長を一度は退けていました。

それを検察が不服として申し立て、3人の裁判官があらためて延長を認めたのです。

その翌日に、るなさんは留置場で吐いて倒れました。

運ばれた病院で受けたのは吐き気をおさえる手当てだけで、そのまま留置場へ戻されたそうです。

そして次の日には、起訴するかどうかを決めない「処分保留」のまま釈放されています。

不服申し立てまでして決まった5日間の延長は、2日で終わったということ。

7月7日に不起訴が決まったあとも、検察は理由を「諸般の事情を総合的に勘案して」としか説明していないそうです。

その延長は、本当に必要だったのでしょうか。


37.5キロが釈放の翌日には27.7キロ

裁判が始まったタイミングで、県警の幹部は報道陣の取材にこう話したと伝えられています。

「警察でも体重を測っているが、原告側が言う数値とは違う。釈放されてから死亡するまでの5カ月間で、家族の対応が本当に適切だったのか明らかにする予定だ」

同じ幹部は「向こうの非も必然的に出てくる。それがネットで叩かれないか心配している」とも話したといいます。

娘を亡くした母親が、法廷で無実を訴えたのと同じニュースの中で、です。

読んでいて、胸の奥がざらつくような言葉ですよね。

 

県警がしようとしているのは、「釈放の日」で時間に線を引くことです。

18日間は正当な捜査で、そのあとの5か月は家族の側の話、という線。

ところが、報道で伝えられている日付を並べていくと、その線より前にもう起きていたことが見えてきます。

原告側によると、るなさんがふらつきや息苦しさを訴えたのは、逮捕から1週間ほどの6月23日。

このころから食事がとれなくなり、その訴えに応じる対応はなかったと原告側は主張しています。

ノートには、取調官から「じけんはじけん めしはくえ」と言われたことも書かれていました。

取り調べる側も、食べられていないことを知っていたわけです。

母親も、面会できないまま毎日警察署へ通い、警察官から食事がとれていないと聞かされていたといいます。

逮捕の前に37.5キロだった体重は、釈放の翌日には27.7キロになっていたと報じられました。

身長148センチの、もともと小柄な女の子です。

その体から、逮捕から釈放の翌日までに、およそ10キロが消えていました。

摂食障害にくわしい医師は、江川さんの取材に「18日間で10キロ減るのは極めてまれ」と話し、勾留を止めて緊急入院させるレベルだったと指摘しています。

体重の数字は県警と原告側で食い違っているので、裁判で突き合わされることになりそうです。

それでも、食べられなくなったのも倒れたのも、県警が引こうとしている線より前のことでした。

 

釈放されたあと、るなさんは急性ストレス障害とPTSDと診断され、車いすで過ごすようになったそうです。

いつまた逮捕されるかとおびえて母親のそばを離れられず、姿が見えなくなると過呼吸になったといいます。

母親が説明を求めて何度警察署へ行っても、返ってきたのは「終わったことだ」という言葉だけだったそうです。

12月13日の朝、るなさんは母親の顔を見ながら涙を流して意識を失い、翌14日に低栄養状態で亡くなりました。

体重は、20キロほどまで落ちていたそうです。


国賠訴訟で問われる3つの判断

母親が国と兵庫県を訴えたのは2026年6月17日で、るなさんが逮捕されてからちょうど1年の日でした。

国家賠償請求訴訟は、公務員が仕事の中で違法に人を傷つけたときに、国や自治体へ賠償を求める裁判です。

今回は神戸地検について国を、兵庫県警について兵庫県を訴え、あわせて約1億1千万円を求めています。

これに対して国と県は、どちらも訴えを退けるよう求めました。

弁護団が訴状で挙げた違法のうち、中心になりそうなのは次の3つです。

  • 35人のうち1人の話だけで、逮捕と勾留が必要だったのか
  • 取り調べで、うそや脅しを使って認めさせようとしていなかったか
  • 食べられずに倒れた少女を、留置場に置き続けてよかったのか

そのうえで、それぞれの判断と死亡がつながっているのかどうかも問われます。

 

この3つを確かめる材料として、取調室の中の記録は欠かせません。

取り調べの録音・録画が法律で義務づけられているのは、裁判員裁判の対象になる重い事件などに限られていて、暴行の疑いはその外側にあります。

弁護団は、捜査が適法だというなら取り調べの録音・録画や捜査記録を出すべきだと訴えました。

いま外から見える取調室の中は、16歳が自分の手で書いたノートだけなんです。

 

この裁判で母親の訴えがどこまで認められるのか、気になっている人も多いはず。

勾留中に人が亡くなり、捜査の違法が裁判で認められた例には、横浜市の機械メーカー・大川原化工機の事件があります。

2025年に東京高裁が警視庁と検察の捜査を違法と認め、幹部が遺族のもとへ謝罪に訪れるまで、2020年の逮捕から5年あまりかかりました。

警察の内側を知る元刑事からも、県警と地検の姿勢を問う声が上がっています。

国と県の詳しい反論は、年内をめどに書面で出てくるとのこと。


「ごめん。みんなごめん」と言った16歳

2025年7月4日、釈放されたるなさんを迎えた母親は「ごめんな。待たせたな」と声をかけたそうです。

るなさんの返事は「ごめん。みんなごめん」でした。

何もしていないと書き続けた子が、外へ出て母親に返したのは、謝る言葉だったんです。

母親によると、釈放されたあとのるなさんは、謝ってほしいと望んでいたといいます。

その謝罪は、亡くなるまで届きませんでした。

10月21日の法廷で、母親は「娘が悪いことをしていなかったのなら、娘に謝ってあげてください」と訴えています。

裁判の前には「誰一人傷つけることのない裁判に」と話していた母親は、法廷で「苦しい思いをする人を、これ以上生まない。そのために、ここに立っています」とも語りました。

提訴のときにも、母親は誰かを憎みたいのではなく「真実を教えてほしい」と話していたとのこと。

けれど裁判の始まりに聞こえてきたのは、謝罪ではなく「家族の対応」という言葉でした。

 

ノートには、食べられない日々に書いた「ママの食べたいごはん」も残っていたそうです。

ハンバーグ、オムライス、だし巻き、そして「全部大好き」。

「ごめん」と言って帰ってきた16歳に、まだ誰も謝っていないことが、どうしてもやりきれません。

亡くなられた少女のご冥福を、心よりお祈りいたします。