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高市早苗首相へのカタログギフト批判が『拍子抜け』の理由を解説

週刊文春が「高市早苗首相がカタログギフトを配っていた!」と報じたニュースが、ネットを中心にちょっとした騒ぎになっています。

見出しだけ見ると、なんだかとんでもない不正をやらかしたかのような雰囲気が漂ってきますよね。

でも、中身をちゃんと読んでみたら「え、それだけ?」と拍子抜けした方、けっこういるんじゃないでしょうか。

当選祝いにカタログギフトを贈った——ただ、それだけの話なんです。

結婚式の引き出物にカタログギフトをもらって「けしからん!」と怒り出す人なんて、正直この世にどれだけいるのでしょう。

率直に言えば、このニュースに本質的な問題は見当たりません。

カタログギフトは日本社会ではごく普通の、むしろ相手を思いやる気遣いの贈り物であって、「政治とカネ」のスキャンダルと呼べるようなシロモノではないからです。

にもかかわらず、一部メディアや野党がこれを大事件のように騒ぎ立てている。

政府高官は24日夜に「社会通念上許容される範囲のものであれば全く問題なく、よくあることだ」と擁護コメントを出しているのに、です。

この温度差、一体何なんでしょうね。

今回は、なぜこの批判が的外れなのか、法律面も含めてじっくり掘り下げてみたいと思います。

高市早苗首相がカタログギフトを配布した経緯

まずは「何が起きたのか」を冷静に整理するところから始めましょう。

事実関係をちゃんと把握しないまま、見出しの印象だけで判断してしまうのは、情報社会で一番もったいない行動ですからね。

2026年2月24日、週刊文春オンラインが「高市早苗首相が衆院選後、自民党の衆院議員全員に当選祝いとしてカタログギフトを配布していた」と報じました。

衆院選は2月8日に投開票が行われ、自民党は公示前の198議席から316議席へと、戦後最多となる歴史的大勝を果たしています。

その直後の2月中旬から、高市首相の政策秘書(首相の実弟)が議員会館の事務所を一つずつ回って手渡ししたり、「御祝 高市早苗」ののし付きで届けたりしたそうです。

中身は近鉄百貨店のカタログギフトで、金額は一例で約3万円相当とのこと。

 

さて、ここで注目したいのが高市首相本人のリアクション

同日夜10時過ぎ、自身のX(旧Twitter)で即座に事実を認め、丁寧な説明を投稿しています。

要約すると、こんな内容でした。

衆院総選挙後、自民党衆院議員の全員宛に、大変厳しい選挙を経て当選したことへの労いの気持ちを込めて、奈良県第2選挙区支部(高市早苗支部長)として品物を寄付した。

一人一人に適切な品物を選ぶ時間がなかったため、事務所での応接や会議、日常業務に使えるものを各議員の判断で選んでもらおうとカタログギフトにした。

夕食会を数回開催してほしいという要望もあったが、施政方針演説の準備や外交日程を考えると困難だったので、ささやかな品にした。

そして最後にこう締めくくっています——「もちろん、政党交付金は一切使用していません」と。

この説明を読んで「なるほどね」と腑に落ちた方、多いのではないでしょうか。

ポイントは3つあります。

 

1つ目は、目的が「労い」と「今後の活動支援」だということ。

選挙って本当に過酷な戦いで、体力も精神力もガリガリ削られるものなんですよね。

その仲間に「お疲れ様、よく頑張ったね」と声をかける代わりに品物を贈る。

人間として、ごく自然な行動でしょう。

 

2つ目は、なぜカタログギフトだったのか、という理由の明快さ。

316人もの議員に一人一人合った贈り物を選んでいたら、それこそ政務に支障が出てしまいます。

「相手の好みに合うものを、相手自身に選んでもらう」というカタログの仕組みは、むしろ合理的で誠実な選択だったのではないでしょうか。

 

3つ目が、原資の問題

今回使われたのは「奈良県第2選挙区支部」の資金であり、政党交付金、つまり国民の税金は一円も使っていないと首相自ら明言しています。

政党交付金というのは、ざっくり言えば「国民の税金で政党を助成するお金」のこと。

2026年度は総額約315億円にも上る公的資金なので、これを個人的な贈り物に使ったら、それはたしかに大問題になり得ます。

でも、今回の原資は選挙区の支援者から寄せられた寄付やパーティー収入がもとになった支部資金。

「高市さんを応援したい」と思った人たちのお金が、党の結束を強めるために使われた——税金の私的流用とは全く別の話なのです。

ちなみに、近鉄百貨店の3万円コースのカタログギフトというと、高級タオルセットやコーヒーメーカー、ビジネスバッグ、文具セットなど、実用的な品物が並んでいるのが一般的。

議員の事務所で普段使いできるものばかりで、豪遊とはほど遠い内容です。

文春のカタログギフト報道に違和感

このニュースに触れた多くの人が感じたであろう違和感を、ここでは率直に言葉にしてみたいと思います。

「カタログギフトがダメなら、一体何を贈ればいいの?」という、あのモヤモヤした感覚です。

Xやネット上のコメントを見ていると、その困惑はかなりリアルに伝わってきます。

「結婚祝い、退職祝い、企業のお中元で毎日のように使われているカタログギフトを、政治家が贈るとスキャンダルになるの?」

「じゃあ花束1本でも金権政治と言われるのか」

「結局、政治家は一切の人間関係を築くなってこと?」

こうした声が相次いでいるわけです。

 

ちょっと冷静に考えてみてほしいんですよね。

カタログギフトって、日本社会では「相手に負担をかけず、好みを尊重する」ための最も洗練されたギフト形式の一つとして定着しています。

お歳暮やお中元の季節になれば、百貨店のカタログギフト売り場は大盛況。

市場規模は毎年数千億円に達するとも言われていて、つまり日本中の人が「これは気の利いた贈り物だ」と認めているからこそ、これだけ普及しているわけです。

それを、政治家が贈ったというだけで「大スキャンダルだ!」と騒ぐのは、さすがに無理があるのではないでしょうか。

 

文春の記事構成にも、いくつか「あれ?」と首をかしげたくなるポイントがあります

まず、石破前首相の商品券問題(2025年3月、新人議員15人に10万円の商品券を配った件)をわざわざ並べて書いている点。

読者の頭の中に「また政治家が金をバラまいている」という連想をさせたいのが見え見えなんですよね。

でも、後で詳しく触れますが、商品券とカタログギフトでは性質がまるで違います。

10万円と3万円では金額のスケール感も全然異なる。

それなのに同列に並べるのは、言ってみれば「同じ乗り物だから」という理由でママチャリとフェラーリを比較するようなもの。

やろうと思えばできるけど、そこに意味はあるのかという話です。

 

次に、文春が取材で「受領を認めた」のが「少なくとも4人」だけだったという点も気になります。

316人に配っているのに、取材できたのがたった4人。

konami
残りの300人以上は?

おそらく「別に問題ないでしょ」と普通に受け取っているわけです。

にもかかわらず、その4人のうちの一人が言った「石破さんの商品券問題を思い出して気まずかった」というコメントがクローズアップされている。

会社員300人にアンケートを取って、4人だけが「ちょっと気になった」と答えた内容を大見出しにするようなもので、なんだかなぁという感じがしませんか。

 

Xでの反応を見ると、高市支持者の間では「文春のいつもの手口」「反政府フィルター全開」という見方が圧倒的に多い状況です。

「法律的に問題なく、本人がXで即座に説明済み。左派メディアが騒いでいるだけ」

「どうでもいいぞ? 政治ちゃんとやってくれるなら」

こうした率直な声がずらりと並んでいます。

 

もちろん、野党支持層からは「金権体質だ」という批判も出ています。

政治に対する見方は人それぞれですから、そうした声があること自体は自然なことでしょう。

ただ、支持者側の分析として「文春は過去にも自民党叩きを繰り返してきた。今回は選挙大勝後の高市政権にブレーキをかける材料を探しているだけ」という指摘は、かなり説得力があるように感じます。

面白いのは、この報道が逆効果を生んでいるように見えること。

「文春がこんなしょうもないことで攻撃してくるなら、むしろ高市さんを応援しなきゃ」——そんな結束感が、支持者の間でかえって強まっているんですよね。

メディアが火をつけようとしたら、逆に味方の士気を上げてしまった。

なんとも皮肉な展開です。

ギフト批判が「おかしい」理由

さて、ここからは今回の批判がなぜ「おかしい」のか、もう少し具体的に掘り下げていきます。

感情的に「おかしいと思う」だけじゃなく、ちゃんとした根拠を知っておけば、職場の雑談で聞かれたときにもスッキリ答えられるはずです。

①一般的な社会通念の範囲内である

先ほども触れましたが、政府高官が24日夜に語った言葉がすべてを物語っています。

「社会通念上許容される範囲のものであれば全く問題なく、よくあることだ」——このコメント、重みがありますよね。

 

社会通念、つまり「世間一般の常識」で考えたとき、当選祝いに3万円相当のカタログギフトを贈ることは果たして非常識なのか。

新入社員の歓迎会で上司が1人3千円のランチをおごる程度のことを、誰もパワハラとは呼びません。

企業の取引先に5千円のお歳暮を贈ることを、誰も贈収賄とは言わないでしょう。

3万円のカタログギフトは、たしかに日常のプレゼントとしてはやや高めの部類に入りますが、国会議員同士の当選祝い、しかも党総裁から党員全員への労いとしては、むしろ控えめと言えるのではないでしょうか。

 

そもそもカタログギフトの本質は「買収」ではなく「感謝と結束」の象徴。

相手が自分の好きなものを選べるという仕組みそのものが、「あなたの判断を尊重しています」というメッセージを含んでいるわけです。

 

②商品券問題との明確な差別化

文春が石破前首相の商品券問題と並べて報じたことで、「ああ、またか」と思った読者は少なくないはず。

でも、この二つは全くの別物なんです。

 

石破ケースは、新人議員15人限定で10万円の商品券を会食の場で渡したもの。

商品券は有価証券に近い性質を持っていて、そのまま現金のように使えます。

一方、高市ケースはカタログギフトという純粋な物品で、全議員が対象、金額は1人3万円程度。

換金性で言えば、商品券はほぼ現金に等しいのに対し、カタログギフトはタオルやコーヒーメーカーを自分で選ぶもの。

金券ショップに持ち込んで換金する人がいるとしたら、それは受け取った側の問題であって、贈った側の責任ではないでしょう。

 

この違いを無視して同列に扱うのは、はっきり言って無理筋。

文春が意図的に読者の「またか」という感情を誘おうとしているのだとしたら、それはジャーナリズムではなく印象操作と呼ぶべきものかもしれません。

③透明性のある政治資金処理

今回、高市首相の対応で特筆すべきなのは、その透明性の高さです。

文春が報じた当日の夜にXで全文説明を投稿し、原資が支部資金であること、政党交付金は一切使っていないことを明確に示しました。

 

「隠す気がないなら最初から公表しておけばよかったのでは?」と思う方もいるかもしれません。

でもちょっと考えてみてください。

国会議員同士の当選祝いなんて、いちいち記者会見を開いて発表するような性質のものじゃないですよね。

会社で部長が課のメンバーにおごった昼食を、わざわざ社内報に載せる人はいない——それと同じことです。

報道が出たら即座に説明した、というスピード感こそが、むしろ透明性への意識の高さを示していると言えるのではないでしょうか。

 

しかも、支部の資金は政治資金収支報告書に記載され、公開義務があります。

つまり、このお金の流れは後からでも誰でも確認できるオープンな仕組み。

「税金を使っていない」「収支は公開される」という二重のセーフティネットがある中で、「不透明だ」と批判するのはかなり苦しい主張でしょう。

 

④当選直後の「ねぎらい」という正当性

選挙というのは、議員にとってまさに命がけの戦いです。

数週間にわたって毎日街頭に立ち、声を枯らし、靴底をすり減らし、家族との時間も犠牲にする。

それを乗り越えて勝ち上がった仲間に「お疲れ様でした」と声をかけるのは、組織のリーダーとして当然の行動でしょう。

 

高市首相のXでの説明にもありましたが、本来は夕食会を開いて直接ねぎらいたかったところ、施政方針演説や外交日程に追われてその余裕がなかった。

だからこそ、ささやかな品物で気持ちを伝えることにしたわけです。

これを「金権体質」と呼ぶのは、会社の部長が忙しくて歓迎会を開けないからお菓子を配ったことを「賄賂だ」と騒ぐのと似ていませんか。

そこまで言われたら、もう何もできなくなってしまいます。

 

316人の議員の結束を固め、国政をスムーズに運営していくための当然の配慮。

しかも夕食会の代わりの「ささやか」な品と位置づけているあたり、むしろ謙虚さすら感じるのですが、みなさんはどうお感じになるでしょうか。

⑤野党やメディアの過剰な反応

共産党の小池書記局長が「古い金権体質だ」と批判し、中道改革連合の小川代表が「財源の説明を」と即座に声を上げたのは、正直なところ予想どおりの展開でした。

野党にとって、こうしたネタは予算案審議を遅らせるための格好の材料になりますからね。

でも、ちょっと立ち止まって考えてみてほしいんです。

国会議員の年間給与は、歳費と文書通信交通滞在費を合わせると2000万円を超えます。

その議員に対して1人3万円のカタログギフトを贈ったことで、一体どんな「買収」が成立するのか。

年収2000万円の人に3万円のカタログギフトを渡して「これで言うことを聞いてくれ」と言ったら、むしろ失笑されてしまうんじゃないでしょうか。

 

文春にしても、記事が売れれば売上が立つ構造がある。

「また政治家が金をバラまいている!」という見出しは、読者の怒りを刺激して雑誌を手に取らせる効果がある。

国民の政治不信を煽ることで成り立つビジネスモデルだと言えば言い過ぎかもしれませんが、そういう構造があること自体は意識しておいた方がよさそうです。

本当に国民が損をするのは、こんな些末事で国会が空転し、防衛強化や経済安全保障、少子化対策といった喫緊の課題への対応が遅れることなのですから。

公職選挙法に触れないの?

「気持ちはわかるけど、法律的には大丈夫なの?」——このニュースを聞いて、そう心配になった方もいるでしょう。

結論から言えば、公職選挙法違反にはまったく当たりません

むしろ、このケースは法律の規制対象そのものから外れている典型例なのです。

一部メディアやネットで「グレーゾーンでは?」という指摘も見かけますが、法律の専門家の間では「対象が有権者ではないため適用外」とする見方が主流となっています。

ここでは、法律にあまり詳しくない方でも「ああ、そういうことね」と納得できるように説明していきますね。

①対象が有権者ではなく「同僚議員」

公職選挙法が禁じている「寄附」とは、ざっくり言うと「政治家が、自分の選挙区にいる一般の有権者に対してモノやお金を配ること」です。

なぜこれが禁止されているかというと、有権者にお金を渡して「次の選挙ではよろしくね」と票を買う行為を防ぐため。

では今回のケースはどうか。

高市首相が贈った相手は、自民党の衆院議員316人。

全員がすでに当選を果たした現職の国会議員であり、高市首相の選挙区(奈良2区)の有権者ではありません。

法律が守ろうとしている「一般有権者を金で釣る」という状況とは、そもそも構図が全然違うのです。

 

たとえるなら、公職選挙法は「お店がお客さんにお金を渡して口コミを書かせる」行為を禁じるルールのようなもの。

今回は「店長がスタッフをねぎらってカタログギフトを配った」という話であって、お客さん(有権者)は一切関係していないわけです。

②投開票「後」で選挙結果に影響しない

公職選挙法が特に厳しくなるのは選挙期間中ですが、選挙後であっても「選挙の結果に影響を残す」ような行為は問題になることがあります。

たとえば、選挙を手伝ってくれた人に後から報酬を渡す「事後買収」などがこれに該当します。

 

今回はどうかというと、衆院選の投開票が2月8日、カタログギフトの配布が始まったのは2月19日頃

選挙はとっくに終わっていて、結果もすべて確定済み。

誰かの当落に影響を与えることなど、物理的に不可能です。

目的も「今後の議員活動に役立ててほしい」という将来に向けた労いであって、過去の選挙に対する報酬ではありません。

公職選挙法の「射程圏外」と言い切っていいレベルの話でしょう。

 

③商品券(有価証券)ではなく「物品」扱い

法律の世界では、「現金や商品券」と「物品」は扱いが異なります。

現金や商品券はそのまま金銭として使えるため、「金銭類似」として厳しく規制される傾向があるんですよね。

石破前首相が批判されたのも、10万円の商品券という「ほぼ現金」を渡したからこそ、グレーゾーンだと指摘されたわけです。

 

一方、カタログギフトは純粋な「物品」にあたります。

カタログから選べるのはタオルや家電や書籍であって、ATMに入れればお金が出てくるようなシロモノではない。

政府高官が「商品券配布とは異なる」と擁護した発言も、まさにこのポイントを指しています。

物品の贈与は、社会通念上の贈答として法的にも「セーフティゾーン」に位置づけられており、買収認定のハードルは非常に高いのが実情です。

④支部から議員への寄附は法的に容認

ここは少し専門的な話になりますが、大事なポイントなのでかみ砕いて説明しますね。

政治資金規正法という法律の中に、「政党やその支部から、公職の候補者への物品による寄付は認められる」という規定があります。

高市首相は、個人の財布からお金を出したのではなく、自身が支部長を務める「奈良県第2選挙区支部」の資金として寄付を行っています。

これは法律が想定している正規のルートを通ったお金の流れであり、なんらやましいところはありません。

 

さらに、この支出は収支報告書に記載され、公開義務を負います。

後から誰でもチェックできるオープンな仕組み。

「こっそりやった」どころか、最も透明性の高い方法で行われたと言ってよいでしょう。

 

⑤過去の慣習でも「当選祝い」は一般的

国会議員同士の当選祝いは、実は昔からごく普通に行われてきた慣行です。

花束、書籍、事務用品、菓子折り——党の幹部が新人議員や再選議員に労いの品を贈るケースは、これまでにも何度も確認されています。

総務省や選挙管理委員会の運用でも、同僚議員間・選挙後の物品贈与は問題視されないというスタンスが取られてきました。

一般的な法律相談サイトなどを見ても、「選挙後の同僚議員への贈り物は公選法の問題にならない」というのが主流の見解です。

 

こうした長年の慣習を無視して、今回だけを「問題だ!」と騒ぐのは、法的な議論ではなく感情論でしかないでしょう。

もしこれを違法とするなら、党首が党員に書籍をプレゼントするのも、派閥の忘年会でケーキを出すのも全部アウトになってしまいます。

さすがにそんな窮屈な世界を望む人は、いないんじゃないでしょうか。

石破氏の商品券問題との決定的な差

文春がわざわざ石破前首相の商品券問題を引き合いに出したことで、多くの人が「ああ、また政治家がお金を配ったのか」という印象を持ったかもしれません。

でも、この二つのケースを並べること自体が、実はかなり強引な話なんです。

具体的に何がどう違うのか、テーブルの上に並べて見比べてみましょう。

 

まず、贈った物の性質がまるで違います。

石破ケースは「商品券」、つまり有価証券。

 

X

コンビニでもデパートでもそのまま使えて、金券ショップに持ち込めば即座に現金化できるものです。

高市ケースは「カタログギフト」、つまり純粋な物品。

受け取った人が自分で好きな商品を選ぶ仕組みで、現金化のハードルはぐっと上がります。

お金に近いか、モノに近いか——この差は、法律上も実態としても非常に大きいのです。

 

次に、金額と対象人数の違い。

石破ケースは新人議員15人に対して、1人あたり10万円(総額150万円)。

高市ケースは全議員316人に対して、1人あたり約3万円(総額約950万円)。

総額だけ見れば高市ケースの方が大きいですが、ポイントは「限定15人に10万円」と「全員に3万円」の違い。

限られた人だけに高額を渡せば「特別扱い」「囲い込み」の印象が生まれやすいですが、全員に平等に配る行為には「党全体への労い」という公平さがあります。

部長が特定の部下3人にだけ高級ディナーをおごるのと、課全員にカフェのコーヒーをおごるのとでは、周囲が受ける印象がまるで違う——それと同じことです。

さらに、原資と説明のタイミングにも決定的な差があります。

石破ケースでは「ポケットマネー」と主張しましたが、個人支出の証明が難しく批判を浴びました。

結局、全額を返却することで事態の収拾を図っています。

高市ケースでは、報道当日の夜にXで「支部資金であり、政党交付金は不使用」と詳細に説明

説明のスピードも、情報の透明性も、段違いに高いのです。

 

こうして比較すると、文春がこの二つを同列に並べることの無理筋さが際立ちます。

「政治家がモノを配った」という表面的な共通点だけを取り上げて、中身の違いを無視する。

それはジャーナリズムの本来の姿ではなく、読者の感情を煽るためのテクニックでしかないように思えてなりません。

石破問題を「思い出させる」ことで「また政治とカネか」という空気を作ろうとしている

でも、事実を一つずつ見ていけば、高市ケースが石破ケースよりはるかにクリアであることは明白です。

首相叩きでブレーキがかかる国民の損失

ここまで読んでいただいて、「まあ法律的に問題ないのはわかったけど、そもそもなんでこんなことが大ニュースになるの?」と感じた方も多いと思います。

その感覚は、たぶん正しい。

そして、ここからが本当に大事な話です。

 

こんな些細な報道で国会が追及合戦に陥り、政策の議論が止まることの方が、よほど深刻な「国民の損失」ではないか、ということ。

 

2026年の日本は、のんびりカタログギフトの是非を議論している余裕なんてありません。

物価高は依然として家計を圧迫し、円安は輸入品の値段を押し上げ続けている。

少子高齢化はいよいよ待ったなしの段階に入り、中国・北朝鮮の軍事的脅威は日に日に増しています。

エネルギー問題、食料安全保障、デジタル化の遅れ——山積みの課題を前に、高市政権は防衛力の抜本強化や経済安全保障の推進、子育て支援の拡大など、大きな政策を動かそうとしている真っ最中なのです。

 

X

そんなタイミングで、カタログギフト1つの報道が野党の追及材料になり、予算案の審議が遅れたらどうなるか。

2026年度の経済対策が後回しになれば、物価高で苦しむ家庭はさらに追い詰められます。

防衛予算の執行が滞れば、国の安全保障に穴が開く。

外交交渉だって、国内がゴタゴタしていたら相手国になめられかねません。

すべての発端が「3万円のカタログギフト」。

この因果関係のばかばかしさに、多くの国民は薄々気づいているのではないでしょうか。

過去にも、些細なスキャンダルで政権が揺さぶられ、結局「何も決められない政治」が続いた時代がありました。

首相がコロコロ変わり、政策に一貫性がなく、国際社会での日本の存在感がどんどん薄れていった。

あの停滞をもう一度味わうのは、さすがに勘弁してほしいと感じている方が大半でしょう。

文春のフィルターを通せば、今回の報道は「正義のジャーナリズム」に見えるのかもしれません。

でも実態は、政権の足を引っ張るための材料探しにしか見えないというのが率直な感想です。

 

もちろん、権力の監視は民主主義にとって大切な機能です。

本当に不正があれば、メディアは容赦なく追及すべきでしょう。

でも、「カタログギフトを配った」程度の話をあたかも大スキャンダルのように扱うのは、監視ではなく妨害に近いと感じざるを得ません。

2月25日現在、野党による追及は始まっていますが、法的に問題視する専門家の声はほとんど見当たらないのが現状です。

私たちが本当に注目すべきなのは、高市政権が日本の課題にどう取り組んでいるか、その政策の中身の方でしょう。

経済は良くなっているのか、安全保障は万全か、子どもたちの未来は守られているか。

そうした本質的な議論にエネルギーを使うべきであって、カタログギフトの是非に時間を費やしている場合ではないのです。

 

メディアが作り出す「空気」に流されず、自分の頭で考える。

報道の表面ではなく、裏側にある意図を読み取る。

それが、情報があふれる時代を生きる私たちにとって、最も大切なリテラシーなのかもしれません。

高市首相のカタログギフトは、ただの「党内の労い」。

それ以上でも、それ以下でもないはずです。

国民の常識で判断すれば、答えは自ずと見えてくるのではないでしょうか。

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