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広陵高校との握手拒否に賛否両論!握手しない理由は被害者への敬意?

 

2025年夏の甲子園。

ある試合後の数秒間が、全国の注目を集めました。

それは「広陵高校との握手拒否」という行動。

高校野球の整列後に交わされるはずの握手が、一部の選手によって行われなかったのです。

背景には、被害者への敬意とも受け取れる理由や、スポーツマンシップの解釈をめぐる考え方の違いがあるとされています。

しかし、その意味合いは一つではありません。

SNSでは賛否が激しくぶつかり合い、「正しい」「間違っている」だけでは片付けられない議論が続きました。

甲子園という舞台で起きた握手拒否。

そこに込められた意図は何だったのか。

この一連の出来事を追うことで、単なる試合結果では見えてこない高校野球の深層が浮かび上がります。

広陵高校との握手拒否が話題

 

X

試合後、両校が一礼するまでは、いつも通りの甲子園。

しかしその直後、広陵の選手が差し出した手に対し、旭川志峯の3人が握手をせずにベンチへ。

この一連の場面が全国中継に映り込み、視聴者の間にざわめきが広がりました。

SNSでは瞬く間に動画が拡散。

「これって抗議の意思表示じゃない?」

そんな声が相次ぎ、大量の投稿が並びました。

支持派は熱く語ります。

「暴力事件の被害者に敬意を示した勇気ある行動」

「汚れた手と握手はできない、その信念が伝わる」

中には「これは高校野球史に残る一幕だ」とする声までありました。

 

一方で批判派は冷静です。

「握手は任意とはいえ、全国放送の場面でやるべきではない」

「疑惑の段階で他校の生徒を拒否するのは教育的に良くない」

「これでは関係ない選手まで傷つく」

など、スポーツマンシップを重視する意見も少なくありません。

特に動画は切り取られて拡散され、広陵の暴力事件を知らない人には「無礼」にも映る。

そのため、意図とは別の受け止め方をされるリスクが高まりました。

現地やテレビの映像が次々と投稿され、別アングルやスロー再生で検証する動きまで登場。

高校野球ファンだけでなく、普段スポーツを見ない層まで巻き込み、この握手拒否は一気に全国的な話題へと膨らんでいったのです。

握手しない理由は被害者への敬意?

 

では、なぜ旭川志峯の選手たちは握手をしなかったのか。

この疑問が、SNSでもっとも熱く語られたテーマでした。

支持派の多くは、そこに「被害者への敬意」があったと見ています。

2025年1月に発覚した広陵高校の暴力事件。

胸ぐらをつかまれ、頬を叩かれた1年生は転校を余儀なくされました。

加害者とされる選手の一部は出場停止処分を受けたものの、チームは甲子園に出場。

「これって本当に正しいの?」と感じた人は少なくありません。

「もし自分が同じ立場なら、笑顔で握手できる?」

Xではこんな問いかけが共感を集めました。

「彼らはただ、被害者に寄り添う姿勢を示しただけ」

「大人が守れなかった正義を、高校生がやったんだ」

そんなポストも目立ちました。

また、大会直前に出た新たな告発も影響したとみられます。

元部員や保護者を名乗るアカウントが、暴力、いじめ、性的被害の告発を投稿。

実名や画像付きの投稿が拡散し、広陵への批判は全国に広がりました。

こうした背景を知っていれば、握手拒否は単なる感情的な反応ではなく、意思表示にも見えてくる。

「握手しない」という静かな行動は、試合後の数秒間で完結する“無言の抗議”になったわけです。

 

広岡達朗(元プロ野球監督)はインタビューで「グラウンド外の問題を試合に持ち込むべきではない」と発言。

 

X

つまり、この握手拒否には“二つの正義”がぶつかっているのです。

ひとつは被害者や社会へのメッセージを優先する正義。

もうひとつはスポーツマンシップを守る正義。

どちらも否定しにくいですよね。

 

さらに、旭川志峯の選手全員が拒否したわけではなかった点も複雑さを増しました。

握手をした選手もいれば、拒否した選手もいる。

この違いについて、SNSでは「選手ごとに判断が分かれたのでは?」との見方も出ています。

そして忘れてはいけないのは、握手はあくまで任意であること。

ルール上は拒否しても問題はありません。

ただし、甲子園という全国放送の舞台で行われれば、その意味は何倍にも増幅されます。

「たった数秒の行動で、全国の賛否を二分した」

まさに、これが今回の握手拒否の核心と言えるでしょう。

握手拒否が生んだ波紋

 

握手をしなかった──。

たったそれだけの行動が、これほどまでに波紋を広げるとは、当事者たちも想像していなかったかもしれません。

まず、SNSの拡散力。

試合直後から動画や写真が拡散し、Xで数時間内にトレンド入り。

「握手拒否は勇気ある行動!」というポストもあれば、「高校生同士なんだから握手くらいしようよ」という声も。

それこそ、コメント欄は完全に“紅白”に分かれた状態でした。

さらに、スポーツ界や教育関係者まで議論に参戦。

SNSでは、「握手拒否は抗議として成立するが、日本にその文化が根付いているかは別」との意見も。

また、「正義感を持つことと、相手を否定することは違う」との声もありました。

そして、この波紋は試合や高校野球の枠を超えて広がります。

「職場や学校で自分も握手拒否してみたい気持ちになった」という冗談交じりの投稿から、「社会の不条理に対する静かな抵抗」と評価する声まで。

もはや一つの文化的な現象です。

 

ただ、良い影響ばかりではありません。

広陵高校の選手や関係者への誹謗中傷がSNSで目立ちました。

事件の背景を知らない人による無責任な書き込みや、事実確認がされていない情報が拡散する危険もありました。

「これじゃ被害者も加害者も、さらに傷つくだけじゃない?」という指摘も少なくありません。

 

一方で、この出来事が高校野球の在り方を見直すきっかけになったのも事実。

暴力やいじめを防ぐための指導体制。

処分の透明性。

そして、選手が安心して野球に打ち込める環境づくり。

これらを議論する機運が、一気に高まりました。

 

旭川志峯の選手たちの行動は、偶然のようでいて象徴的でした。

「被害者への敬意」を行動で示すか、それとも「スポーツマンシップ」を優先するか。

この二つの価値観が、全国中継の数秒間でぶつかり合ったのです。

それはまるで、社会全体の縮図のようでもありました。

正義と正義が衝突する場面。

どちらも間違っていないのに、意見は噛み合わない。

だからこそ、この握手拒否は人々の心を揺さぶったのでしょう。

 

最後に──。

今回の握手拒否をめぐる議論は、単なるスポーツニュースではありません。

そこには、人がどう生き、何を守り、どんな時に声を上げるべきかという問いが詰まっていました。

たった数秒の沈黙と拒否が、日本中の議論を呼び起こした事実。

そして、その議論は語り継がれるでしょう。

konami

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