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元稀勢の里の部屋が両国から遠い理由は?なぜ茨城県阿見町に作った?

 

新弟子検査の季節がやってくると、相撲界ではある話題が自然と盛り上がってきます。

それが「部屋の立地」についての関心です。

とりわけ注目を集めるのが、「二所ノ関部屋が東京・両国ではなく、茨城県阿見町にある」という事実。

両国といえば、言わずと知れた相撲の聖地。

国技館がそびえ、日本相撲協会の本部もその中に構えられており、多くの相撲部屋が軒を連ねるエリアです。

稽古場としてだけでなく、力士たちの生活の中心となるこの地は、相撲という文化そのものの“本拠地”でもあります。

だからこそ、「なぜわざわざ不便な地方に?」と疑問を抱く人がいても不思議ではありません。

相撲に詳しくない人にとっても、「相撲部屋=両国」というイメージは非常に根強いものがある。

そうした“常識”に対して真っ向から問いを投げかけるような決断が、なぜ下されたのか。

そこには表面的な地元愛だけでは語れない、もっと深く、もっと本質的な理由が隠れているのです。

今回は、稀勢の里本人の思いを交えながら、その選択の意味を丁寧に掘り下げていきましょう。

相撲部屋の場所という選択肢

 

まず、相撲部屋がなぜ両国周辺に集中しているのか。

それにはいくつもの実利的な理由があります。

最も大きな要因は、やはり「国技館がすぐそばにある」ということ。

場所ごとの取り組みに向けた移動が圧倒的にラクになるというのは、想像以上に大きなメリットです。

さらに、日本相撲協会の本部も国技館内にあり、事務手続きや運営上のやりとりがすぐに行える。

交通アクセスも良く、都内や近郊からの弟子志願者にとっても生活しやすい。

こうした複合的な利便性が相まって、両国エリアには自然と相撲部屋が集まってきたわけです。

しかもこの傾向は、近代に始まったものではありません。

江戸時代から続く「力士と町の共存関係」が、今もなおこの地に根づいているのです。

 

しかし、ここでひとつ重要な事実を知っておくべきです。

相撲部屋は両国でなければならない、というルールは存在しません。

日本相撲協会に正式に所属し、稽古場や宿舎など必要な施設・設備の基準をクリアすれば、原則として全国どこにでも設立することが可能です。

実際、過去には埼玉や千葉などに拠点を構えた部屋もありました。

にもかかわらず、依然として地方に部屋を置く例がごく少ないのは、やはり“利便性と伝統”があまりに強力だからでしょう。

利便性は効率を生み、伝統は信頼を育てる。

その両方をあえて手放すという選択は、簡単にできることではありません。

稀勢の里が「阿見町」を選んだ本当の理由

 

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なぜ元稀勢の里(二所ノ関親方)は、茨城県阿見町を選んだのか。

それは、このような理由があったからです。

  • 故郷への愛着と恩返し
  • 広い敷地の確保
  • 地域おこしへの貢献
  • 集中できる環境

故郷の牛久市に近く、広い土地で土俵二面と力士のための個室を備えた理想の施設を建設できる点、そして地域おこしを通じて地元に恩返ししたいという思いに集約されます。

都市部では得がたい広大な敷地を確保することができたからこそ、稀勢の里は「本当に理想的な稽古環境」をゼロからつくり上げるという挑戦に踏み出しました。

新設された二所ノ関部屋は、敷地面積は1800坪。

「国技館をイメージした」という緑青色の屋根、稽古場は2面の土俵を設置。

それは単なる住居ではなく、稽古に打ち込むための「静けさと集中」が両立した、かつてない稽古環境でもあります。

土俵が2つもあれば、伸び伸びと稽古ができますよね。

それと常磐線で東京まで行ける、という点も魅力だったのかもしれません。

 

そして彼のビジョンには、もうひとつ明確な軸があります。

 

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それが、「弟子たちにとって本当に集中できる環境をつくる」ということ。

都市部の喧騒や生活の気晴らし——それらはときに若者たちの集中力を削ぎ、志を曇らせる原因にもなりえます。

あえてそうした要素から距離を置き、雑念のない、純粋な空気の中で日々の稽古に励む。

そのためにこそ、この地方の静けさは必要だったのです。

選んだのは、“効率”よりも“本質”を優先する道。

利便性を捨てる覚悟がなければ、決して踏み出せない決断でした。

地方型相撲部屋がもたらすメリットとリスク

もちろん、その選択にはリスクも伴います。

一つは、東京・両国に比べて国技館までのアクセスが悪く、本場所や行事のたびに移動の負担が生じること。

また、弟子を志す若者の中には「東京で生活したい」という思いを持つ者も多く、地方の立地は志望者数に響く恐れもある。

そうしたリクルート面での不利も、決して小さくはありません。

けれど、それでも元稀勢の里(二所ノ関親方)は地方に部屋を建てるという道を選びました。

なぜか。

それは、目先の利便性よりも、長期的に力士を育てる「本気の環境」が何よりも大切だという確固たる信念があったからです。

 

そしてこの決断は、彼ひとりの志だけにとどまらず、地域全体に確かな変化をもたらし始めています。

阿見町では、部屋開きを機に相撲を通じた地域おこしが進行中。

たとえば、彼が横綱時代に使っていた化粧まわしの展示会や、力士たちと触れ合えるトークショーといったイベントが行われ、住民との交流が日常化しつつあります。

「地元に本物の力士がいる」というリアリティは、子どもたちの夢を刺激し、高齢者には毎日の楽しみを提供する。

観光資源としても注目が集まり、町全体で応援体制が整ってきているのです。

それはただの“施設”を超えた、地域と力士が一緒に育つ関係の始まりでもあります。

 

最後に、私たち自身に問い直してみたいのです。

「自分たちは、何を優先して生きているのか?」ということを。

便利さ、効率、そして伝統の中に身を預けるのも一つの生き方。

けれど時には、理念や信念、人とのつながりに重きを置く生き方もある。

稀勢の里の選択は、明らかに後者に寄ったもの。

その裏側には、彼自身の原体験と、次代の力士を本気で育てたいという意志が色濃く刻まれているのです。

 

相撲部屋の場所という、一見すると地味で些細なテーマ。

しかしその裏には、こんなにも豊かな人間ドラマと、価値観の選択が隠されている。

「なぜ、そんな場所に?」という問いの奥にあったのは、過去への感謝と、未来への祈りでした。

そう思えば、阿見町という選択肢が、ぐっと輝いて見えてくるのではないでしょうか。

konami

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