『性別なんて関係ない、好きになった人がすべて』——最近、こんなフレーズを耳にする機会が増えましたよね。
『パンセクシュアル』という言葉、ドラマやSNSのタイムラインでちらほら見かけるけれど、正直なところ「また新しい言葉が出てきたな」くらいに感じている人も多いかもしれません。
でも、この感覚って私たちにとっても、意外と身近なものなのかもしれないんです。
「男だから」「女だから」という理由ではなく、ただ「その人だから」好きになった経験、あなたにも一度くらいはあるのではないでしょうか。
今回は、そんなパンセクシュアルの深層について、心理的な側面も交えながらじっくり紐解いていきますね。
単なる言葉の意味だけでなく、バイセクシュアルとの決定的な違いや、なぜ今カミングアウトする人が増えているのか、その裏側にある心理まで深読みしていきます。
読み終わる頃には、あなたの恋愛観にも小さな変化が起きているかもしれません。
パンセクシュアル(Pansexual)とは、相手の身体的な性別やジェンダー(社会的性別)に一切とらわれることなく、その人の性格や内面、醸し出す雰囲気そのものに惹かれて恋愛や性的な関係を築くことができる性的指向のことを指します。
語源を探ってみると、ギリシャ語の『Pan(すべて)』と『Sexual(性的)』が組み合わさってできている言葉なんですよね。
つまり文字通り、『すべての性別にオープン』であるという意思表示とも受け取れます。
ここが興味深いデータなのですが、2021年の米国ギャラップ調査によると、性的マイノリティを自認する人のうち、なんと約1~2%がこのパンセクシュアルと回答しているそうなんです。
たった1%と思うかもしれませんが、数にすれば膨大な人数ですし、特に18~24歳という感受性豊かな若い世代で認知度が急上昇しているという事実は見逃せません。
彼らの感覚を分かりやすく例えるなら、『恋愛において相手の性別なんて、好きな食べ物の好みが合うかどうか程度にしか気にならない』といったところでしょうか。
私たち情報の受け手からすると、「性別を気にしないなんて可能なの?」と不思議に思う部分もあるかもしれません。
ですが、彼らは性別という枠組みを超えた、とてつもなく広い視野を持っていると言えるでしょう。
ここで重要なのが、パンセクシュアルの人たちは、相手の性自認や性表現を「無視」しているわけではなく、あえて「意識しない」という選択を自然に行っている点なんです。
相手が男性であれ女性であれ、あるいはどちらでもない性であれ、その外側のラベルではなく「中身」そのものにダイレクトに接続して魅力を感じているんですね。
これって、ある意味では「逃げ場のない、魂と魂のぶつかり合い」のような、非常に純度が高く、同時に誤魔化しのきかない本質的な愛の形と言えるのかもしれません。
もし世界中の人がこの感覚を持ったら、私たちの社会構造そのものがひっくり返ってしまう……そんな可能性すら秘めたパワーを感じますね。
さて、ここが多くの方が混乱しやすいポイントなのですが、パンセクシュアルとバイセクシュアル(バイ)の違いについて、少し深掘りしてみましょう。
一見すると「どちらも性別に関係なく好きになるんでしょ?」と思われがちですが、実はその『枠組み』の捉え方に決定的な違いが隠されているんです。
バイセクシュアルは一般的に『男性と女性の両方に惹かれる可能性がある』という意味で使われますよね。
これは裏を返せば、性別を『男性・女性』という『2つ』のカテゴリーとして明確に認識している、とも言えるんです。
一方で、パンセクシュアルは『性別そのものを考慮しない』というスタンスですから、男性や女性に限らず、ノンバイナリーやトランスジェンダーなど、あらゆるジェンダーアイデンティティを持つ人が恋愛対象になり得るんです。
2020年の英国の調査(YouGov)などのデータを見ても、バイセクシュアルを自認する人は人口の約3%、パンセクシュアルは約1%と、まだ認知度には差があるようですが、この数字の開きも徐々に埋まっていくのかもしれませんね。
よく使われる例え話ですが、バイセクシュアルが『チョコレート味とバニラ味、両方のアイスが好き』だとします。
それに対してパンセクシュアルは、『アイスクリームなら何味だろうが、美味しいと思えば食べる』という感覚に近いでしょうか。
つまり、「味(性別)」で選んでいるのではなく、「アイス(その人)」そのものを求めているわけですね。
より多様な性のあり方を、理屈ではなく感覚で認めている考え方なんだな、と腑に落ちるのではないでしょうか。
意外と知られていない事実として、パンセクシュアルの人は外見的な特徴よりも、相手の個性や才能、あるいは生きる姿勢といった価値観に強烈に惹かれる傾向があると言われています。
つまり、外見的な性別という情報をショートカットして、いきなり内面的な魅力にアクセスしていると言えるでしょう。
この違いをもう少し噛み砕いてみると、彼らの心理が見えてきます。
まず決定的に違うのが、バイセクシュアルの方々はあくまで「男性」と「女性」という2つの性を認識した上で、その両方に魅力を感じるという点なんですよね。
「どっちもイケる」という感覚には、やはり「どっち」という選択肢が存在しているわけです。
一方でパンセクシュアルの場合は、そもそも「性別」というフィルター自体が存在しない、あるいはそれを考慮する必要性を全く感じていないというスタンスなんです。
これって、すごく本質的で究極的な違いだと思いませんか?
言ってみれば、多様な性のあり方を頭で「認める」というよりは、感覚レベルで「境界線が見えていない」状態に近いのかもしれません。
この違いを知ると、彼らの見ている世界がどれほど自由で、広がりを持っているのかが少しだけ想像できる気がしますよね。
「性別の壁」なんて最初から存在しなかったんだ……そう気づかされるような、不思議な感覚に陥ります。
近年、マイリー・サイラスやジャネル・モナエといった世界的なスターたちが、次々とパンセクシュアルであることを公表していますよね。
なぜ今、彼女たちはあえてその言葉を選び、世界に向けて発信するのでしょうか?
その背景には、単なるカミングアウト以上の、強い意志のようなものを感じずにはいられません。
LGBTQ+への社会的理解が深まる中で、『自分らしく生きる』ことの重要性を発信したいという純粋な思いはもちろんあるでしょう。
実際、2022年のHuman Rights Campaignのレポートによると、カミングアウトした人の約60%が『自分の経験が誰かの役に立つなら』と、公表の理由を挙げているんです。
特に、アイデンティティに悩む若い世代に「あなたは一人じゃない」と勇気を与える意図が見え隠れしますよね。
また、インターネットやSNSの普及により、誰もが自分の性的指向をオープンに語れる文化が広がったことも大きいでしょう。
2020年代に入り、『パンセクシュアル』という言葉を自ら名乗る人が10年前に比べて約3倍に増えたというデータ(Google Trends分析)もあるくらいですから、これはもう一過性のブームではなく、時代の変化そのものと言えるかもしれません。
公表することは、自分自身を肯定するだけでなく、性別や恋愛観の多様性を社会に訴えるメッセージでもあります。
ただ、ここがポイントなのですが、パンセクシュアルであることを公表することは、既存の社会システムに対する一種の「静かなる抵抗」のようにも受け取れませんか?
それは、「私たちはここにいる」「私たちは性別という檻には収まらない」という、多様な愛の形を信じる人々の力強い宣言のようにも聞こえるのです。
カミングアウトすることは、確かに勇気のいる行動ですが、同時に、自分自身を解放し、より自由な生き方を手に入れるためのチケットなのかもしれませんね。
2025年12月10日、立憲民主党の東由貴議員がパンセクシュアルだと公表しました。
こうしたニュースをきっかけに、彼女たちの行動は、私たち自身の心の中にある「偏見」や「固定観念」をも溶かしていくきっかけになる……そんな気がしてなりません。
性別というラベルを剥がしたとき、最後に残る「愛」の形とは一体どんなものなのか、私たちもそろそろ本気で考える時期に来ているのかもしれませんね。
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